――3――
ひとりの部屋。
僕は、明かりも点けず震えている。
あの後、正気を取り戻した僕は、自分のしたことに驚き、慄いた。
目の前には、ベッドの上で正気を失ったように放心したナミ。
乱雑に服を脱がされ、破瓜の血と僕の体液に彩られたその姿は、あまりにも淫らであった。
その光景も、そして原因となった僕自身についても、まるで現実味が感じられない。
ただ胸にあるのは、途方もない罪悪感と、そしてそれ以上の悦び。
そう、僕は、愉しかったのだ。心地良かったのだ。その事実が、より一層僕を絶望させた。
気が付けば、僕はその場から逃げるように走り去っていた。
背後から、情けない男――と、ミナの声が聞こえた気がした。
きっと、ナミは僕を軽蔑する。
否、それどころではない。怒り、憎み、嫌悪することだろう。少なくとも、僕が同じ立場ならそうする。
だから僕は、今、このひとりの部屋で、死刑宣告を待っている。
最低だと。
死んでしまえと。
ナミに罵られるのを待っている。
家に帰ってもうどれくらい経つだろう? 時間の感覚なんて、まるでなかった。ただ、明かりに怯え、物音に怯えていた。
――電話。
ああ、ついに。ついにこの時が来てしまった。
もう逃げられない。
例え走ってこの場から逃げ出しても、ミナにしてしまったことと、ナミを失ったという事実からは逃げられない。
暴れる心臓を胸の上から押さえつけながら、僕は電話を取った。
「・・・はい」
「マシロさんでしょうか?」
思った通り、ナミの声。刺のあるミナとはまるで違う、ナミの声。
なんだ――こうして聞いてみれば、違いなんて明らかじゃないか。
僕はやっぱり、どうかしていた。
そして僕は、息を整えて宣告を待つ。
「マシロさん。ミナとは、上手く話せましたか?」
「え・・・」
それは、思っていたのとはまるで違う言葉。
・・・もしかして、ナミは、何も知らないのか?
ミナは、ナミに対して何も言っていないのか?
「妹は、適当に話をしただけとか言っていましたが・・・マシロさん、あの子また失礼なことを言ったりしませんでしたか? 私、そこがどうしても心配で」
「え、いや、いいえ。そんなことは――特に何もありませんでしたよ」
僕は咄嗟に嘘を吐く。
いつものように、慣れた口調で。
――何もなかったわけが、ないじゃないか。
僕の思いなど知る由もなく、それならば良かったです、とナミは明るく言う。
その後・・・少し世間話をして、次に会う日の約束をして。
最後に。
「また、ミナと会ってやってくださいね」
と言って、彼女は電話を切った。
ツー、ツー、と受話器から鳴り響く電子音を聞きながら、僕は胸を抉られたような痛みに襲われた。
ミナと会ってやってくださいね。
僕は一体、どんな顔をして――ミナに会えば良いと言うのか。そして、それはナミに対しても同様である。
ナミはきっと、気付いていない。つまりミナからは何も話していないということだ。
一体、どういうことなのだろう。あれほど嫌っている僕から暴行を受け、どうして姉に相談もせずにいられるのだろう。
僕は考える。が、当然ろくな解答が見出せるわけもなく。
ひたすらに、堂々巡りの詮ないことをつらつらと考え続けていた。
しかし、そんな魂の抜けたような状態でも、やはり時間は過ぎて。
あっという間に、ナミと会う日はやってくる。
「マシロさん・・・今日は、一段とお疲れのようですね」
顔を合わせるなり、ナミはそう言って心配そうな色を浮かべた。
「え、ええ。まぁ」
「お仕事、大変なのでしょう? でも、体を壊されては元も子もありませんから。それに・・・私も、心配してしまいます」
少し恥ずかしそうに視線を外しながら、囁く。
何という心地良い音色。
穏やかで、美しく、清らかな――。
「今日は、ご自宅でお休みになった方が良いのではないですか?」
「いや、しかし」
「・・・何でしたら、私が看病を・・・」
「そ、それは――」
それはどれほど魅力的な申し出だろうか。断る理由など、何ひとつとして・・・。
何、ひとつとして。
「い、いや、あの」
否、である。
僕の家で、となると、どうしてもあの時のことが頭を過ぎってしまうではないか。
あの目。
あの声。
あの肌。
それはきっと、目の前にいる彼女と全く同一のもので。
僕は。
その美しさを――えも言われぬ快感を、知っている。知ってしまえば、それはもう麻薬のように絶ち難いものだろう。
「あ・・・。そ、その。申し訳ございません。勝手なことを言ってしまいました。どうかお忘れください」
僕の鈍い態度を見てか、慌てて頭を下げるナミ。
「い、いえその、ナミさんが・・・悪いわけでは」
動揺を隠せるわけもなく、いつものように口が回らない。背中には厭な汗が浮かび、目が回る。
ああ、僕は、何と穢れて、卑しく、愚かなのだろう。
忌まわしい。自らが、恨めしい。
だけど思考は意思に反して、あるひとつのことを連鎖的に思い起こす。
『姉さんに騙されているのよ』
そう、あの日、ミナが発した言葉。
僕がナミに騙されている?
目の前には――丁度あの日と同じ顔をした、別人。
この人が僕を騙すだなんて、到底考えられない。
しかし、その手に触れたことすらないのもまた事実だ。双子の妹の言であることも、信憑性が高いと思える要因である。
今現在も、心配する振りをして内心では僕の無様な姿を嘲笑っているのだろうか。
「本当に・・・大丈夫ですか?」
こんな、こんなにも、無垢な顔をして。
腹の中では――僕を。
「いえ、もう・・・大丈夫、です。それよりも」
「はい?」
「それよりも、手を繋いで・・・歩きませんか」
多分、初めて口にする言葉。
さりげなく態度で示しても通用しないのであれば、確認する手段はひとつである。
「え、そ、そんな急に」
「急では、ないと思います。もう知り合って3ヶ月以上経ちますよね。僕は・・・もうそろそろ、結婚も考えています」
「あ・・・ほ、本当ですか?」
さも嬉しそうに目を輝かせるナミ。
その歓喜は本物なのか、偽物なのか。
「だから・・・手を繋ぐくらい、構わないのでは?」
「え、ええと、その」
言い淀み、表情を曇らせ、目を逸らす。
――それだけで、返事は見えた。
そうか、そうだったのか。
僕の中で何かが崩れた、というのは些か大袈裟だろう。この結末は、既に予測していたもののひとつだったのだから。
「そうですか。いや、失礼しました。僕の方こそ――忘れてください」
懸命に言葉を紡ぐと、僕は逃げるようにその場を去った。
背後から聞こえるナミの声を無視しながら。
その日どうやって家に帰り着いたのか、それもあまり覚えていない。
気が付いたときには見慣れた玄関の前に立っており、鍵穴に上手く挿さらない鍵に苛立っていた。
何とか鍵を開けて中に入ると、土足のまま台所へ向かい、胃の中を全て吐き出す。
喉の焼ける痛みに耐えながら、どうしてこうなったのかと自問自答を繰り返していく。当然、答えなど出るわけもなかった。
吐き気が落ち着いた頃、今度は慣れた番号へと電話をかけた。
長い呼び出し音の後――珍しく、ミナが出た。
僕はまるで何事もなかったかのように、明日もう一度会おうと言った。
意外と言うべきか、構わないという了解を得た。
翌日は仕事を休んでミナの家へ向かった。
車椅子に乗ったナミ、としか言い様のない姿を見て少々戸惑ったものの、僕は迷わずミナをベッドへと押し倒す。
勿論抵抗されたが、所詮女性、しかも両足は不自由ときている。僕が負けるわけもなかった。
・・・そもそも、彼女自身も本気で嫌がってはおらず、むしろそれを愉しんでいるように見えた。
前回のことを姉に告げなかったのも、そういう裏があるからに違いないのだ。
僕は半ば確信していた。だからこそ、このような暴挙に出たとも言える。
口汚く僕を蔑みながらも、その僕に陵辱されることを望んでいるのだ。穢されることに愉悦を感じているのだ。
男を生殺しにして悦ぶ嗜虐趣味の姉と、自ら軽蔑する相手に犯されて悦ぶ被虐趣味の妹。
本当に、姉妹揃って、狂っている。
僕は、これまで受けた仕打ちに対する復讐とばかりに、ミナを殴り、犯し続けた。
ナミ、ナミ――と、繰り返し別人の名を呼びながら。
そんな屈辱的な状況も彼女にとっては快感以外の何物でもないらしく、次第に抵抗する演技からも力が抜け、ただただ己の本能を曝け出していく。
それはまさに、あの清楚で残酷なナミ自身を服従させているかのような、堪らない快感であった。
ああ、そうか。
僕もまた、どうしようもないほどに狂っているのだな――。
卑しい笑みを浮かべたまま、そんなことを思った。
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