――2――



 ――さあ、では具体的にミナとはいつ会うのか。
 僕の仕事の都合などがあり、時期については改めて電話で約束を取ることとなっていた。
 前回会った日から丁度1週間後が空いたため、後日、その日でどうかと連絡した。
 ナミは、その日は自分の都合が良くないと言ったが、ナミが同席する必要はない旨を伝えると渋々ながら承諾してくれた。
 そう、何もナミが同席する必要はない。
 否、むしろ同席しない方が良いのだ。
 ナミが同席すれば、ミナは気を遣ってしまうかもしれない。それでは意味がないのだ。
 ミナが僕を嫌いであれ何であれ、腹を割って本音で話すことこそが重要だと思う。それが――家族としての距離感を計る指針になるのだから。
 その日、僕は普段着のまま、気取らず気負わず、彼女達の家へと向かった。

 玄関前でどれだけ呼んでも出てこないのは、相変わらずだった。
 はあ、とひとつ溜息を吐いて、ノブを回す。鍵は掛かっていなかったため、僕はそのまま中へと入った。
 確か・・・ミナの部屋は廊下の突き当たりだったな。
 勝手に上がり込むと、そのまま彼女の部屋のドアをノックする。
 「・・・はい」
 控えめな返事が聞こえた。
 「ええと、マシロです」
 「・・・どうぞ」
 いかにも不機嫌な声。姉との約束の手前、仕方ないと言わんばかりだ。
 何度も繰り返すが、この際僕のことが嫌いなら嫌いで構わない。そうだと互いに認識することこそが重要なのだ。
 「お邪魔します」
 言って、部屋に入る。
 飾り気のない部屋で、簡単なテーブルとドレッサー、箪笥、ベッド・・・そして今現在彼女が乗っている車椅子くらいしか物がなかった。
 玄関に活けてあったような花も、ぬいぐるみ等の女の子らしいものも見当たらない。
 ただ、整理されていない本が畳の上に直接山積みにされていたのが印象的であった。
 「ふん、入るなり人の部屋をジロジロと眺めるのはいかがなものかしらね? お義兄さん」
 嫌味っぽく呟く。
 「あ、いや、これは失礼しました」
 「・・・敬語」
 「え」
 「今日は、堅苦しいことは抜きだと聞いているけれど」
 「あ、ああ。うん、そう・・・だね」
 「・・・この程度でおたおたとみっともない」
 実に苦々しく、独り言のように呟く。これはどうも、本気で嫌われているようだ。
 「とにかく、適当に座って。私は・・・このまま車椅子に座っていれば良いかしら?」
 「うん、ミナさんが楽なようにしてくれれば」
 「じゃあ、そうね。普段通りベッドに腰掛けさせてもらうわ」
 言って、器用に車椅子を操るとひょいと身軽にベッドへと移動した。
 「上手いもんだね」
 「何を的外れなことを言っているのよ。貴方、歩くのが上手ねって褒められて嬉しい人?」
 「あ・・・っと、それはそうだ。ごめん」
 彼女にすれば、それは極めて日常なのだった。
 ・・・出だしから最悪な印象を与えたかもしれない。
 ばつの悪い空気に困り果てつつも、彼女の正面、円いテーブル前に腰を下ろす。
 「申し訳ないけれど、飲み物が欲しければ自分で適当に用意して貰えるかしら」
 「ああ、お気になさらず」
 「そう」
 そして、気まずい沈黙。
 どうもミナとはまともな会話を継続できそうにない。仕方ない、とにかくこちらの用件を済ませてしまおう。
 「今日伺ったのは――他でもない、ミナさんと僕の関係についてなんだ」
 「何? 私ともっと仲良くしようとでも?」
 「そうだね、うん、仲良くできればそれに越したことはないと思う。でも、本題はそこじゃない。僕は――いずれ、ナミさんと結婚したいと思っている。そうなれば、ミナさんとも家族になるよね。その時、お互いの距離感を間違えないことこそが重要だと思うんだ」
 「つまり、私が貴方の顔も見たくない、と言えばそうしてくれるということかしら」
 「・・・そうだね、いきなり顔も合わせないことは難しいと思うけど、でも極論するとそういうこと。例えば、顔も見たくないなら僕とミナさんの部屋が遠くなるようにすればいいし、食事の時間なんかもずらしてしまえばいいんだ」
 「へえ」
 言って、ミナは例のよって底意地の悪い笑みを浮かべる。
 「えらく物分りが良いものね。姉さんに取り入りたくて必死ってところかしら」
 ・・・どうして、この人はここまで辛辣なのか。
 全く分からないとは、言わないけれど。
 「勿論、ナミさんの印象を良くしたいっていう下心はあるよ。正直な話、ね。でも、それ以上に――君と家族になりたいと思っている」
 「家族?」
 「うん。別に、家族だからって好き合ってなきゃいけないなんて道理はないと思うんだ。問題は、距離感さ。最低限、苦痛ではない、共に暮らしていけるという距離を間違えないこと」
 と、僕が持論を展開している最中。
 「・・・ふふ」
 不意に、彼女は肩を震わせて。
 「うふふふふ」
 まるで、もう堪えきれないというように。
 「あははははははは!」
 ――大声で、嗤い出した。
 「な、何を・・・嗤う」
 「くふ、ふふふ、ふははは。だって。貴方は、本当に滑稽な人ね」
 「滑稽、だって?」
 「ええ、ええ。滑稽よ。無様で愚かしいわ。貴方――」
 その目は。
 冷たく冷たく、僕を射抜く。

 「貴方、本当に姉さんと結ばれるとでも思っているの?」

 「なん・・・だと?」
 それは一体、どういう意味だ。
 完全に想定外の台詞に、僕の血が熱くなる。頭が痛い。
 「姉さんはね、貴方を苛めて、甚振って、愉しんでいるだけなのよ。気付かないの?」
 「そんな! ナミさんがそんなこと、するはずがない。第一、僕は辛いとも苦しいとも思ってない!」
 「あら、そうなの? だとしたら、貴方は余程異常なのね」
 左右非対称の歪んだ笑みを維持したまま、さも楽しそうにミナは語る。
 「私の見たところ、貴方は気付いているわ。気付いてて、気付かない振りをしている。もしくは、諦めているのかしら? どちらにしても、それなりの苦悩をしたはずよ――『どうして彼女と触れ合うことができないのか』、と」
 ――何故。
 何故、それを知っている?
 誰にも話したことのない、僕の悩み。
 「ほぅら。図星でしょう? 奥手ぶって、気を持たせて、だけど決して体には触れさせない。あの姉さんがいかにもやりそうなことだもの」
 小さな小さな心の隙間に入り込むような、こそばゆい声。
 「貴方は、姉さんに触れたいと思ったはずだわ。いいえ、もっと端的に言ってあげようかしら。姉さんを、犯したいと、そう思ったわね」
 血が。
 更に、更に熱くなって。
 凄まじい速さで、全身を駆け巡ってゆく。
 「一体どうやって自分を誤魔化したのかしら。いずれ妻になるから? 自分のものになるから?」
 まるで――僕の脳を、思考を、複写したかのように。
 ミナは僕を追い詰める。
 「そのうち好きにできる、だから今は我慢しておこう・・・そんなところかしらね」
 「そんなこと!」
 意識しないままに立ち上がると、強い眩暈を感じながら、僕は訴える。
 「それこそ、君には関係のないことだ! 僕は確かにナミさんに触れられないことを寂しく思っている。けれど、だからといってナミさんが僕を甚振っているなんてことは」
 「本当に滑稽だわ。貴方、つくづく姉さんの好みそのものね、可哀想に」
 「か、可哀想・・・?」
 「ええ、そうよ。無様だとか愚かだとか言ったのも、何だか申し訳なくなってきたわ。もはや、可哀想だとしか思えない。弱い男をその気にさせて、弄んで、苛めて愉しむ――姉さんに騙されているのよ」
 「違う!」
 やはり僕の意識とは別に――体が勝手に動きだす。
 ミナの襟元を掴み、喚くようにただただ否定する。
 「違う、そんなことはない。有り得ない。ナミさんに限って、あの人に限って、そんな、そんな、惨いことは」
 そう――僕の気持ちを全て見透かした上で、それを嘲笑うなんて、惨いとしか言いようがない。
 そんな惨いこと、彼女が考えるはずもない! これはもはや、ナミに対する侮辱だ!
 「有り得るから、可哀想だと言っているのよ。貴方というか――雄という生き物が」
 「違うっ、そんな人じゃないんだっ・・・」
 「違わないわね。他ならぬ――双子の妹であるこの私が言っているのよ」
 ――違う。
 ――そんなことはない。
 ――有り得ない。
 彼女が、あの優しく清楚で、しとやかなナミが。僕を甚振るためだけに?
 「仮に戸籍上結婚できたとしても、あの人は貴方に指一本触れさせないでしょうね。賭けても良いわ」
 迷いを持った僕を更に突き放すような、絶望を告げる声。
 そうだ、この目で、この口で、この声で――全否定されてしまうと。
 信じざるを得ないほどの、魔力があった。
 「分かった? 分かったら、いい加減・・・この手を離して頂戴。苦しいわ」
 「うるさい・・・うるさい、うるさいっ! お前が、その声で、そんなことを言うな・・・っ!」
 両手に込めた力は、緩むどころかどんどん強くなっていく。
 もう、無意識に――とは、言わない。
 僕は意識的に、その力を強めているのだから。
 「ふん・・・どうせ、はったりでしょう。見せ掛けだわ。信じられない事実に、勝手に逆上して・・・それでも自分は強いんだって。自分の思い通りに出来ないことはない、なんて。思い上がって、いるのね」

 ドウセ、コレ以上何モ出来ナイクセニ。

 心の隙間をくすぐる甘い声は、僕の脳を、狂わせて。
 「黙れ」
 「ふん、小さな男。そんなだから、姉さんに振り回されるのよ」
 「黙れ、と、言っているだろう」
 襟元を掴んだ両手を離し――強く強く、その両肩を突き飛ばす。
 堪らずベッドに倒れ込んだナミの上に覆い被さるように圧し掛かると、今度は白い首に手を回す。
 「か、かはっ・・・」
 声を上げることもできないまま、信じられないものを見るような目で僕を見る。
 「その声で、僕を語るな! その目で、僕を見るな!」
 その声は、ナミの声だ。
 その目は、ナミの目だ。
 その顔は、ナミの顔だ。
 だったら。
 だったら?
 この、首は。
 この、はだけた胸元は。
 僕に爪を立てる手は。腕は。捲れた上着から覗く腹部は。臍は。すらりと伸びた美しい脚は。
 そうだ。

 「そうだ、そのまま黙っていろ」

 そう。喋らなければ。その内面を語ることさえしなければ。

 「――お前は、ナミだ」

 恐怖に引き攣るミナの顔が。

 僕には、実に愛おしく思えた。

 ああ――ナミ。ナミ。ナミ。
 僕は、君を愛している。
 だから、お願い。
 君の肌に、触れさせて。
 それが叶わないならば。
 僕は、ナミ、君の代わりに。

 寸分違わぬ分身である、このミナを――。




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