Hard rain



――5――

 「ねえ、コウイチさん。今日は・・・私の行きたいところに、付き合ってくれませんか?」
 3日ぶりに会った鈴は、何も変わっていなくて。
 罪悪感にまみれた僕は、彼女を直視することなんてできやしなかった。
 「コウイチさん?」
 「あっ・・・ああ、うん。付き合うよ」
 明らかに不審な笑顔と口調でそう答える。そんな僕に、彼女は嬉しそうに笑うだけだった。
 ――汚れを知らない、純白の人。
 鈴のあまりの純真さに、僕は軽い目眩を覚えた。
 彼女が優しく接してくれる分だけ、僕の汚らしさが浮き彫りになる。やりきれなくなる。
 だけど――彼女のそんな無垢な部分に引かれているのだ、というのも間違いの無いことだった。
 「じゃあ、行きましょ」
 「ああ」
 生返事をしながら、僕はただ彼女に従った。
 珍しく、鈴が僕の前を歩く。彼女の行きたい場所へ行くのだから当たり前といえば当たり前なのだが。
 「どこへ行くの?」
 取り敢えず何か話さなければ、間が持たない。そう思って僕は適当なことを口にした。
 「秘密です」
 鈴は、薄く笑いながらそう答えた。
 繁華街を通り、その裏路地へと入っていく。新しく見つけた喫茶店か何かだろうか。
 「もうすぐですよー」
 「一体・・・どこへ行く気なのさ?」
 「ふふ、だ・か・らぁ、それは着いてからのお楽しみってコトで」
 彼女の、こんな悪戯心に満ちた行動は初めてだ。僕は鈴の新しい一面を見ることができた気がして、少し嬉しく思った。
 そして、愛しいという感情を抱くと同時に、やはり罪悪感が顔を出す。
 僕は、何と言い訳すれば良いのだろう?
 そんな情けない思考ばかりが頭を駆け巡っていた。
 「――はい、着きましたよ」
 「・・・・・・」
 「コウイチさん、ほら、着きましたってば」
 「あ、ああ。ゴメン、ちょっと考え事して――」
 そこで、僕は目の前の建物に目を向ける。
 ――そして、言葉を無くした。
 「そんな・・・ココ・・・なの?」
 「はい、ココですよ」
 鈴は、いつもと全く変わらぬ穏やかな笑顔でそう言ってのけた。
 改めてその建物を、そしてその看板を見つめる。
 ハデな装飾を施された建物。昼間なので目立たないが、夜は遠くからでもよく見えるであろうネオンサイン。
 「・・・ホテル・・・?」
 「うーん、ホテルっていうか、ラブホテルですね」
 言うと、彼女は呆然とした僕の腕をとって歩き出した。
 「ちょ、ちょっとっ!」
 「あはは、ダメですよ。ここまで来たら最後まで付き合ってもらいますからね」
 彼女らしからぬ強引さで、僕はずるずると引きずられて行ってしまった。
 「待って、待ってよ!」
 「何ですか?」
 「そんな、どうして・・・こんなところに?」
 「だって、私達恋人同士じゃないですか。私達がこういうトコ使わなくて、誰が使うんです?」
 「いや、そ、そうじゃなくって!」
 「?」
 彼女は、心底不思議そうな顔をする。
 「イヤなんですか?」
 「そ、そんなこと・・・ないけど」
 僕がぼそぼそとそう言うと、嬉しそうに彼女が返す。
 「じゃあ、問題無いじゃないですか」
 そして僕は、再びホテルの中へと引きずられて行く。
 外から簡単には見えないよう、入り口は意外とフクザツだ。そんな中を、彼女はさくさくと歩いて行く。
 「あ、コウイチさん、ココって部屋選べるんですけど、何かご要望ありますか?」
 鈴は、大きな看板のようなものの前で立ち止まり、そう尋ねてきた。
 「へ?」
 僕は何のことか分からず、ただ間抜けな声を出す。
 「部屋の内装とか、お風呂場の広さとか・・・あと、これなんか天井が鏡張りみたいですよ」
 楽しそうに、彼女は話している。僕は相変わらず付いて行けていない。
 「ご要望が無ければ、私が勝手に選んじゃいますね」
 そう言って、彼女は慣れた手つきでその看板のようなパネル(よく見ると沢山の写真が並んでおり、それぞれが部屋の内装を紹介した物だった)にあるボタンの一つを押す。
 と、今押したボタンに対応する写真がパッと点灯する。
 「314号室ですね。っと、こっちです」
 言って、枝分かれした通路の一つを指し示す。確かにその通路の壁には「311〜415」と書かれたプレートがかかっている。
 そして彼女は、僕の手を引いて歩き出した。混乱した僕は、未だに現状がよく把握できていない状態だった。
 やがて、彼女は数ある扉の一つの前で立ち止まる。扉には、「314」とナンバリングされていた。
 そのまま鈴はためらうことも無く扉を開ける。
 鍵は、開いていた。
 従業員にも会わないかった。そもそも、会いそうにも無い。ここはほとんど無人なのだ。
 「コウイチさん、入りましょ?」
 言われて、僕は誘われるままにその部屋へと入った。
 決して広くはない部屋。まず目に入ったのが、中央の大きなベッド。そしてその枕元には、ティッシュの箱と、灰皿と――コンドームが置かれていた。
 その現実感溢れるアイテムに、僕の頭はようやくここがどこなのかを「正確に」思い知った。
 くらくらと視界が揺れる。
 こんなところに連れ込んで・・・彼女は一体どういうつもりなんだ。
 「コウイチさん、先にお風呂入りますねー」
 「えっ?」
 あたふたとする僕のそばで、彼女はそう言って上着を脱いだ。そして、そのまま言葉を続ける。
 「それとも、一緒に入ります?」
 「なっ・・・!」
 「ふふ、冗談です」
 からかうように笑うと、鈴は出入り口以外の唯一の扉のノブに手をかけた。
 「ちょっと待って」
 僕は、精一杯の声を絞り出して、彼女を止める。
 「はい?」
 「どういう・・・つもり?」
 「どういうつもりも何も、私達、恋人でしょう?」
 「そうだけど・・・でも、どうして急に? 何だか・・・手順をいくつか飛び越えてるみたいな・・・」
 「それは――」
 キッ、と、真剣な眼差しで僕を見つめる。

 「コウイチさんの方が、よく知っているでしょう?」

 ――ドクン。
 心臓の鼓動が、突然大きくなる。
 呼吸ができなくなる。
 目の前の女性は――僕の全てを見透かすかのように、こちらを見つめる。
 「私、知ってるんですよ。コウイチさんとヒビキさんのこと――」
 「・・・ッ!」
 息を飲む。
 視線を逸らす。
 「少し、話をしましょうか。コウイチさん」
 彼女は、ゆっくりと歩く。そして僕の背後――中央の大きなベッドに腰掛けた。
 「コウイチさん、隣、座りませんか?」
 その声に操られるように、僕は振り向き、彼女の隣に座る。
 「うふふ、そんなに緊張しないで。私、怒ってませんから」
 「え・・・?」
 意外な言葉。
 僕は驚いて鈴に視線を戻した。
 「ただ――私、多分ちょっとだけ焦ってるんです。だから今日は無理矢理こんなところに・・・」
 そこで、彼女は少し息を吐く。
 「この前は、ごめんなさい。あんな風な別れ方、キライなんですけど・・・ヒビキさんに会ったら、何故か怖くなっちゃって」
 「いや・・・あれは、あれは僕の方が悪かったと・・・思ってる」
 やっとのことで、僕はそれだけの言葉を取り戻していた。
 その言葉に、彼女は少しだけ嬉しそうな顔を見せる。
 「それで・・・謝ろうと思って、次の日のお昼過ぎにそちらに行ったんです」
 次の日の昼――。
 その時、多分、僕はヒビキさんと同じベッドで眠っていた。
 ズキズキと、胸が痛む。
 「でも、ノックしても返事がなくて・・・そんな時、隣の方に声をかけられたんです。マサトさん――っていうんでしょう? あの人」
 「マサトさん・・・うん、多分・・・」
 「彼は、少し微笑んで・・・コウイチさんは今いない、って。だから帰ってくるまでウチで待ってれば良い、って仰って」
 ・・・・・・?
 どういうことだろう。僕はその時間、ずっと眠っていたのに・・・何故、そんなデタラメを・・・?
 「私、そこで彼がコウイチさんの言ってたマサトさんっていう人だろうから、と思って――そのお言葉に甘えさせてもらったんです。それから、隣の・・・マサトさんの部屋に案内してもらって・・・」
 そこで少し言い澱む。
 僅かにうつむいて、彼女はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
 「そこで、彼に、襲われました」
 「な――ッ!?」
 馬鹿な!
 マサトさんはそんな人じゃない! 別人だ、きっと、別人なんだ――
 と、そこまで考えて、数日前からの壊れたマサトさんを思い出した。
 今のマサトさんは、普通じゃない。だったら、僕が勝手に判断できることじゃない。
 それこそ――「別人」なのかも知れないのだ。
 そして、そのこと以上に鈴自身のことが気になった。
 平気なのだろうか。あんなに無垢な彼女が、そんな――
 ダメだ、想像できない。したくない。
 「あ、そんなに沈まないでください」
 そんな僕を見かねたのか、彼女はそう言った。
 「正確には、襲われ『かけた』んです。・・・安心しました?」
 「ああ・・・そうか。大丈夫・・・かい?」
 「ええ、大丈夫です」
 言って、にこりと笑う。
 「問題は、ここからなんです――彼、部屋で私を押し倒して、服に手をかけて・・・そこで正気に戻ったんです。そして、私に何度も頭を下げて・・・それから、全部話してくれました」
 「え?」

 「――彼は、性的不能者なのだそうです」

 「そ――そうなのか・・・?」
 「はい。私を襲わなかった・・・ううん、襲えなかったのも、そこに理由があったんだと思います」
 もし。
 もしそれが本当だったら。
 ヒビキさんはきっと、そのことを知らない。
 知らないからこそ――彼女は、あそこまで追い詰められてしまったのだろう。
 そして、当のマサトさんも・・・。
 「それから、私を襲おうとしたその理由も話してくれました」
 「理由・・・だって?」
 これ以上・・・まだ何かあるというのか。
 僕が知っている「マサトさん」が、本当に限られた、ごく一部だけだったことに改めて気付かされる。
 驚きを隠せずにいる僕に、彼女は追い打ちをかけるように言葉を綴った。
 「その日、マサトさんはずっと部屋にいたんです。この意味が――分かりますか」
 部屋に・・・いた?
 その可能性は、確かに高い。しかしそれが――
 そこで僕は、愕然とする。
 「あ・・・!」
 「気が付きましたか。そうです・・・隣の部屋で大きな声を出せば、それが彼に聞こえないはずはない――」

 ――『どう? 気持ちイイ? 気持ちイイでしょう?』
 ――『あっ、ああっ。あふうっ! イイっ、イイよ、コウイチ・・・』

 聞こえて、いたのだ。

 隣室の、マサトさんに。

 だから、気の狂れた彼は、僕の「彼女」である鈴を?
 ああ、僕は、ぼくは、何てことを・・・。

 世界が暗転する。
 「コウイチさん、しっかりしてください。大丈夫、貴方は悪くない。悪くないんですよ・・・」
 そんな僕の耳元で、囁く声。
 「誰も・・・貴方も、ヒビキさんも、マサトさんも・・・誰も悪くないんです」
 僕を、僕等を、許すというのか――。
 「ただ、皆、少しずつ寂しかっただけなんです」
 暖かい、腕。僕を包む。
 「私も――貴方達と同じ。キレイなんかじゃない。純白なんかじゃない――」
 強く、僕を抱き締める。
 「私だって、本当は、汚れてるんですよ」
 そして――あくまでも、優しく。
 「だから・・・貴方同様、汚れているから。私は――貴方の全てを愛せる」
 全てを、愛せる・・・。

 そして鈴は、自身の過去を、汚れた彼女自身の物語をゆっくりと語り出した。
 僕は、穏やかな気持ちで、それをただ聞いていた――。




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