Hard rain



――3――

 ドンドンドン! ドンドンドン!!
 ――深夜。
 僕が布団に入り、目を閉じて10数分後にその音は響いてきた。
 玄関・・・誰かがドアを叩いている?
 半分寝ぼけたまま、僕は仕方なく玄関へと向かった。
 ドンドンドン! ドンドンドン!!
 「あー、はいはいはい・・・煩いなぁ」
 ぶつぶつと独り言を呟きながら、僕は扉のロックを外してノブを回す。
 かちゃ・・・。
 「やあ、コウイチ」
 「あれ・・・マサトさん?」
 ――そこには、爽やかな笑顔のマサトさんが立っていた。
 「どうしたんです、こんな時間に?」
 「いや、ちょっと聞きたいことがあってな」
 「はあ、何でしょう」
 寝ぼけていたせいもあって、僕は妙に冷静にマサトさんの話を聞いていた。
 よく考えれば・・・おかしいことだらけなのに。
 「コウイチ、彼女とは上手くやっているかい?」
 またしても、笑顔。
 「ああ・・・えっと、おかげさまで」
 「そうか、それは良かった。彼女は大切にしなければいけない。生涯のパートナーたりうる存在は、何といっても恋人なのだからな」
 「はあ・・・」
 段々と、目が覚めてくる。頭の中がクリアになり、思考能力が甦ってくる。
 「良いか、彼女というのはだな――」
 「あのちょっと、マサトさん」
 そこで僕は、ようやく「おかしいこと」の一つ目に気付いた。
 「えっと、夜も遅いし・・・その、近所迷惑でしょうから、取り敢えず部屋に上がりませんか」
 「む? そうか。そうだな。ああ、そうだ」
 うんうんと必要以上にうなずきながら、マサトさんは靴を脱ぎ、部屋へと上がった。
 僕は、消していた部屋の電気を再びつける。
 「ああ、コウイチ、寝ていたのか。すまないな」
 「いや、それは別に良いんですけど」
 ―― 一体、マサトさんは何をしに来たのだろう?
 先程から今一つ要領を得ない話をするばかりで、ウチに来た明確な理由がつかめない。マサトさんの性格からして、少々考え難いことだ。
 マサトさんは、そのまま定位置であるベッドの前に座りこんだ。
 「でも、どうしたんです? こんな時間に・・・」
 テーブルを挟んで、彼と向かい合う位置に腰を下ろす。
 「何か、緊急の用事とかですか?」
 ・・・・・・返事がない。何故か、うつむいたまま黙りこんでいる。
 「マサト・・・さん?」
 「・・・だ、な・・・だ・・・」
 「え?」
 耳をすますと、微かに呟いている声が聞こえた。口元を僅かに震わせて・・・確かに、何か呟いている。
 僕はますます不審に思い、もう一度声をかけてみた。
 「マサト、さん? どうしたんです?」
 「・・・・・・」
 再びの沈黙。
 どうして良いか分からない僕は、ただ黙って様子を見るしかなかった。
 やっぱりおかしい。
 そうだ、さっきからおかしいことだらけじゃないか。深夜に突然、あんな大きな音でノックして、そのまま意味の分からないことばかり一方的にまくし立てて、しかもいつも以上の・・・不気味とさえ言えるほどの笑顔を見せて。
 そんなの、オトナなマサトさんの性格からして考えられることじゃない。
 僕は、意を決して彼に質問した。
 「何か・・・あったんですか?」
 「お前に何が分かるんだ! 俺の、一体何が分かると言うんだ!?」
 「なっ・・・?」
 不意の大声に、僕は思わずたじろぐ。
 「あははは、どうした、その顔。何を驚いている?」
 ・・・今度は、笑顔。
 「なあ、やっぱり俺が悪いのかな? 俺のせいなのかな?」
 一転して、普段決して見せない今にも泣き出しそうな表情。
 ――混乱している。
 感情が、心が混乱している。
 あの冷静沈着なマサトさんが・・・一体どうして?
 「マサトさん、マサトさん・・・っ!」
 テーブル越しに彼の肩をつかみながら、僕は何度も呼び掛けた。
 「・・・・・・」
 返事は、無い。
 「マサトさんッ! しっかりしてくださいよッ!」
 「・・・ん・・・?」
 マサトさんの目が、ふ、と一瞬だけうつろになる。そして次の瞬間。
 「あれ・・・ああ、悪い、ちょっとボーっとしていた」
 そんな言葉と共に、彼はいつもの彼に立ち戻った。
 「・・・マサトさん・・・。はぁ、ビックリしましたよー」
 一体、どうしたというのだろう。ここまで混乱したマサトさんを、僕は見たことが無かった。
 「とにかく、迷惑をかけたな」
 言うと、彼は唐突に立ちあがった。
 「え? マサトさん、話があったんじゃ・・・?」
 「ああ、いや・・・良いんだ。なんでも無い」
 ――何でも無い。
 嘘だ。絶対、嘘だ。何も無くてマサトさんがああまで取り乱すはずが無い。
 しかも・・・混乱しただけで、ここまで突飛な行動に出るものだろうか。僕には・・・到底そうは思えない。絶対、何かあったんだ。
 「何でも無いわけ・・・ないじゃないですか」
 立ち去ろうとするマサトさんの左手をつかみ、僕はゆっくり言った。
 「さっきのマサトさん、悪いですけど普通じゃなかったです。いつものマサトさんじゃなかった・・・」
 「いつもの俺・・・か」
 ぼそり、と目を合わせずにそう漏らす。
 そして、僕の手を軽く振り払いながら振り向き、彼は言い放った。
 「コウイチ、君には分からないさ」
 ――この言葉。デジャヴじゃないかと思わせられる、この言葉。
 「・・・あぁ・・・いや。すまないな、心配かけた。もう・・・大丈夫だ」
 マサトさんは、少しだけ済まなそうな顔をしながら付け足した。
 だけど。僕の耳には、そんな言葉はあんまり届かなくって。
 ――君には、分からない。
 その一言だけが、ぐるぐると頭の中を駆け巡るばかりだった。
 マサトさん。そして、ヒビキさん。二人が共通して発した、この言葉。
 僕に・・・何か、隠しているのは間違い無い。
 だけど、僕の自惚れでなければ――。
 君には分からない。そう言いながらも、マサトさんは僕の部屋に来た。ヒビキさんは積極的に僕に話しかけてきた。
 そう――もしかしたら、それは二人の・・・僕に対するSOSだったのかも知れない。
 だったら、何か力になってあげたいと思う。直接話を聞くことが無理でも、一緒にいてあげるとか、さりげなく様子を見るとか、僕にだってできることがあるはずだ。
 きっと。きっと、あるはずだ。
 二人とも、大好きな友人だから。大切な先輩だから。
 僕は、マサトさんの背中を見送りながら、そんなことを考えていた。


 次の日。アルバイトの、帰り道にて。
 僕は、少し・・・いや、かなり戸惑っていた。
 「い、いや・・・別に、構わないんだけど」
 「じゃあ、今から行きましょうよ。どうせ帰り道ですし」
 「えっと、その、結構散らかってたりするし」
 「あはは、そんなの気にしません。よろしければ、お掃除もしますし」
 「いやそんな、さすがにそれはマズイって!」
 「・・・あの、やっぱり・・・迷惑でしょうか?」
 「ち、ちち違うってば。だから、えっと、その・・・一応、もう夜だし・・・さあ」
 「大丈夫です。ウチ、結構放任なんで。電話さえ入れれば文句言われません。大学生ですからね、これでも」
 「あー、えっと・・・そ、そういうことなら、まあ・・・」
 「やったぁっ!」
 ――要するに、鈴が急に、僕の部屋に遊びに行きたい、と言い出してしまって。僕は・・・なんというか、困ったことに断る術を持っていなくて。
 更に困ったことに、女の子と自分の部屋で二人っきりだなんて、今までに体験したことが無くて。
 嬉しい・・・んだけど、まあその、嬉しすぎて大変というか。
 隣を歩く彼女は、満面の笑みで夜道を歩いている。
 無邪気、なんだろうなあ。
 僕みたいに、こう・・・いろいろ、色々、イロイロ想像を巡らせてしまうなんてこと、無いんだろうなあ。
 そう考えると、恥ずかしくて死にたくなる。
 そして、ちょっとだけ残念な気にもなってしまって・・・またそれで罪悪感を感じて死にたくなる。
 ・・・ああ、こんなんで本当に大丈夫なんだろうか、僕。
 「コウイチさん? どうかしました?」
 「あ、いや、別に!」
 鈴の声に、不意に現実に戻される。ぶんぶん、と頭を振って、僕は嫌な考えを脳の隅に追いやった。
 「ああ、ここ。この角を曲がって、すぐのアパート」
 危うく通り過ぎそうになったその曲がり角を曲がり、僕らは大通りから住宅街へと入った。
 そして、歩くこと約2分。
 家賃4万2千円のアパートへとたどりつく。
 「へえ、キレイなアパートですねー」
 「まあ、外観はね。そんなに古いアパートでもないし」
 そんなことを話しながら、階段を上る。僕の部屋は、2階だ。
 そして――階段を上りきったところで、ばったりとヒビキさんに出会った。
 「げ」
 「げ、じゃないわよ」
 僕の、思わず出た当然とも言えるリアクションに対し、彼女は方眉を吊り上げて厳しく返してきた。
 「で・・・コウイチ、今帰り?」
 「え、ええ・・・まあ」
 多少どぎまぎしながら、僕は彼女の問いに答える。
 そのやりとりに、背後の鈴が反応した。
 「あの・・・コウイチさん?」
 「あー! コウイチ、その子ね? 噂のカノジョは!?」
 目ざとく――というか当たり前なのだが――鈴に目を付けたヒビキさんは、鈴の言葉を遮るようにそう言った。
 「うぅ・・・」
 何と言うか・・・一番会いたくない人に会ってしまったものだ。
 「コウイチさん・・・あの、そちらの方は?」
 少し怯えたような声で、鈴が僕に問う。
 「はぁ。仕方ないなぁ・・・。こちらは僕の先輩の春日ヒビキさん。で、こっちは野仲鈴さん」
 手早く、二人に紹介をする。
 ヒビキさんの方は興味津々といった顔、そして鈴の方はどこか不安げな表情をしている。全く、正反対な二人だ。
 「ところで――コウイチ」
 不意に、真剣な顔になって、ヒビキさんが言う。
 ・・・てっきりからかわれるものだとばかり思っていたので、僕は拍子抜けしてしまった。
 「な、何です?」
 「ふふ、そんなに警戒しなくても良いじゃない。・・・あのさ、明日、ヒマ?」
 「はあ・・・まあ、一応ヒマですけど」
 「ちょっと、聞いて欲しい話があるんだけど・・・今日はさすがに、ね」
 と言って、ちらりと鈴を見やる。気を使っているらしい。
 「分かりました。じゃ、明日」
 「うん・・・ゴメンね、引きとめちゃって。あと、カノジョの方も・・・」
 ヒビキさんは、軽く会釈しながら、続けた。
 「コウイチのこと、ヨロシクね。これで結構イイヤツだからさ」
 ・・・今日は、次から次へと信じられない台詞を吐く。まるでヒビキさんじゃないみたいだ。
 「・・・・・・」
 そんなヒビキさんに対し、鈴はうつむきながら軽くうなずくだけだった。
 「それじゃ、今日はこれで」
 微笑んで言うと、ヒビキさんは階段へ向かって歩き出した。そして、僕とすれ違う瞬間――
 「初めてだからって、ハリキリすぎて失敗するんじゃないぞっ☆」
 ・・・やっぱりからかうんかい。
 僕は脱力しながら、一人心の中で突っ込んだ。
 そして彼女は、何事も無かったかのように、そのまますたすたと階段を降りていく。
 ――マサトさんの部屋に行くんじゃないのか。
 軽い疑問はさして気にもならず、僕はそれよりも後ろで強張る鈴の方が気になっていた。
 「えっと・・・」
 しかし、何とも気まずい。恋人の前で、別の女の人と明日の約束を交わす・・・このシチュエーションで下手なことを言うと、妙な勘繰りをされてしまうんじゃないだろうか。
 「さっきの・・・ヒビキさんって人・・・」
 ぼそぼそと、鈴が言葉を綴り出す。僕はその一つ一つを体を硬直させたままで聞いていた。
 「キレイな、人でしたね。それに・・・何だか、コウイチさんとも仲良さそうで・・・」
 「え? あ、いや・・・そ、そんなんじゃないからね? 言っとくけど、あの人にはマサトさんっていう立派な彼氏がいるんだ。僕の目から見ても、お似合いの二人でねー。あ、そ、そうだ! 今度マサトさんも紹介するよ! 凄くオトナで、理知的な人でさー・・・」
 ・・・言えば言うほど、墓穴を掘っているような気がしないでもない。でも、言わずにはいられない。言い訳っぽくても、本当に言い訳なんだから仕方ないじゃないか。
 「・・・・・」
 そして思った通り、鈴の機嫌はなおらない。
 自分の経験の無さが、恨めしい。
 沈黙は続く。気まずさはそれに正比例してどんどん増していく。何か言わなきゃ――そう思っても、きっと何を言っても通じない。伝わらない。空気でそれが分かってしまう。僕には、何も言えない・・・。
 「あの・・・私、やっぱり帰りますね」
 「え・・・っ?」
 予測され得る、最悪の事態。
 「そ、そう・・・?」
 考え得る、最悪の返答。
 そして鈴は、ぺこりとお辞儀して薄暗い階段を駆け下りていった。
 建物に反響する靴音が、妙に耳障りだった。
 もやもやとした感情が、僕の中で渦巻く。頭が痛くなる。
 ――ああ、やっぱり女の子のことなんて分からない。
 半ばヤケになりながら、そんなことを考えていた。
 今夜は、眠れそうに無い。



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