――4――


 がちゃり。
 私は、いつも通り無言で玄関のドアを開ける。
 「待ってて。タオル、持って来るから」
 一言、みつみにそう言って、私は奥へ行こうとした。
 が、
 「あ、いいよいいよ。どうせほとんど濡れてないからさ」
 と、みつみに呼び止められてしまった。
 本当は、タオルよりも母親の方が気になっていたのだが・・・そう言われては仕方ない。
 「・・・あがって」
 「うん。おじゃましまーす」
 言ってくるりと背を向け、みつみは靴を脱ぐ。
 ――雨が、降り出していた。
 天気予報では降らないだろう、と言っていたので、傘など持っていない。そして、それはみつみも同様のようであった。
 「急に降り出すんだもんなぁ」
 私の部屋の前で、彼女はそうこぼした。
 「入って」
 私は、ドアを開け、彼女を促す。
 「あ、うん」
 そして、彼女は部屋に入るなり、言った。
 「うわぁ・・・何て言うか・・・サクラらしいよね」
 ・・・私らしい、か。
 言われてみればそうかも知れない。
 ポスターやぬいぐるみなど、本来女の子の部屋にあるであろう「飾り」の要素は、微塵も無い。
 あるものと言えば、ベッド、本棚、そして勉強机くらいのものだ。
 「つまらないでしょう?」
 「ううん、そんなことない。サクラってこんなところで生活してるんだな、って思ったら、何だか面白いよ」
 くすくす、と笑いながら言うみつみ。
 取り敢えず、彼女に机とセットになっている椅子をすすめ、私はベッドに腰掛けることにした。
 彼女は、椅子に座ってもまだきょろきょろと部屋を見まわしていた。
 「何も・・・ないよ」
 「うん・・・そうかも」
 苦笑いしつつ言うみつみ。
 「そうだ、本は?どんなの読むの?」
 そう言って、彼女はこの部屋で唯一話の種になりそうな家具に目をやった。
 「そこに置いてるのは、ほとんど教科書だから」
 「あ・・・そ、そう」
 彼女は、少しがっかりしたようにそう言った。
 話が盛り上がらないから・・・だろうな、やはり。
 私は、懸命に話を続けようと試みる。
 「本・・・幻想小説とかは、好き」
 「幻想小説?ファンタジーみたいなの?」
 「いや・・・ちょっと、違う」
 「?」
 分からない、と言った顔で彼女は私を見る。
 「ちょっと不思議な・・・お話」
 説明になっていない。
 「ファンタジーとは違うんでしょう?それで、不思議な・・・?」
 案の定、彼女も分かっていなかった。
 「うん・・・私も、どう言っていいか、良く分からない」
 自ら白旗を揚げてしまった。これでは本当に話にならないではないか。
 「あはは、変なのぉ」
 彼女は、それでも楽しそうに笑ってくれた。
 それだけで、私の努力も報われるというものだ。
 彼女が、立ちあがる。そして本棚の前まで歩み寄り、言う。
 「ここにある?その幻想小説ってヤツ」
 「一冊だけ・・・あ、それ」
 私は、彼女にその本を指し示すと、彼女はそれを手に取り、私の隣で読み出した。
 「へえ・・・」
 軽く流すようにそれを読むみつみ。
 ぺらぺら、という乾いた音と、彼女のふぅん、という声だけが部屋に響いていた。
 「なるほど・・・」
 ぱたん、と本を閉じ、言う。
 「あのさ、サクラ。この本・・・借りていい?」
 意外。
 私は、そう思った。彼女が興味を示すなんて思ってもみなかったのだ。
 「・・・構わないけれど」
 「いいの?ありがとっ!」
 そう言うと、彼女はその本をさっさと自分のカバンにしまい込んだ。
 「・・・気に入った?」
 「うん。何か、今までに読んだことないカンジで、読みたくなった」
 「・・・そう」
 そして、沈黙。
 話すことが尽きてしまったのだ、当然そうなる。
 みつみにとっては、居心地が悪いのではないだろうか。
 そう思って、隣に目をやる。
 彼女は、何やらじっとこちらを見ていた。
 「・・・何?」
 「うん?ああ・・・いや、サクラって、ホントに綺麗だなって思って」
 「綺麗・・・」
 「そうだよ。自覚、してないの?」
 そんなこと言われても・・・。
 私は、困り果ててしまった。
 自分では、容姿は悪い方だと思っている。
 綺麗というのは・・・。
 そこで思い当たったのが、父だった。
 私の父親は、今いない。蒸発してしまった。
 綺麗、という単語を聞いて、その父が・・・思い出された。
 「お父さんが・・・」
 困り果てた私は、話を逸らす意味も込めて、そう切り出した。
 「お父さんが、綺麗な顔をしていた」
 「え?お父さんが?ウソ!?」
 みつみが、驚いたような声をあげる。
 「本当に?」
 「ええ」
 「すごい!やっぱり、美形の親って言うのは、父親の方も美形なのかな?あたしの父親なんて、そりゃもうムサいんだから」
 「・・・むさい?」
 またしても、良く分からない単語が出てきた。
 「そーよ。小太りでいつも汗かいてるし髭ジョリジョリだし煙草臭いし酒臭いしっ!」
 みつみは、一気にそうまくしたてた。
 「・・・嫌いなの?」
 「うぅん、まあ、嫌いってほどでもないけど・・・いや、結構嫌いかな」
 言って、あはは、と笑う。
 「サクラは?お父さん、好き?」
 「私は・・・」
 そして私は、父のことを思い出した。
 それは・・・この一家の崩壊の原因にも繋がる。
 そう、私の家族は、壊れている。
 父の蒸発、母の気狂い。
 これらを、壊れていると言わずして何と言おう。
 そして全ては、あの夜に集約される。
 あの夜――私の、14歳の誕生日の夜。
 私は、その日、実の父親に、犯された。
 その時のことは、今でも思い返すことができる。
 私が床につこうとしたちょうどその時。不意に、父が部屋に入ってきた。
 その瞳は、私――否、自分の分身を凝視するかのように、捕らえて離さない。
 私は、恐怖した。
 が、それも一瞬のことだった。
 次の瞬間、私は・・・不思議と落ち着いていたのだ。
 そして、私は特に抵抗することもなく、彼の欲望を受け止めた。
 その時の彼は、まるで子供のようで。
 必死に、必死に何かを求める子供のようで。
 それが、妙に愛らしかった。
 ・・・初めての行為だというのに、不思議と大した痛みはなかった。
 そんな父が、本当に愛おしかったのかも知れない。
 「・・・――・・・――!」
 不意に、誰かの声が聞こえた。
 「・・・ラ・・・クラ!」
 そして、声と共に自分の体が揺さぶられるような感覚。
 「サクラ!」
 そこで、私ははっと我に帰った。
 一瞬、私は我を忘れていたようだ。
 「あ・・・ごめん・・・なさい」
 「はぁ、もう、びっくりさせないでよ」
 「・・・ごめんなさい」
 「うん、もういいから。それより・・・平気?」
 「ええ」
 言って、私は溜め息を吐いた。
 わずかな沈黙。
 「・・・私」
 「え?」
 「お父さんのこと、好きだったのかもしれない」
 「え?あ・・・ああ、そうなの?・・・って、好き『だった』?」
 細かいところに、みつみは敏感に反応した。
 「ええ。お父さん、今、いないから」
 「いない・・・って?」
 「蒸発したから」
 「あ・・・」
 しまった、といった風に、彼女は自らの口元を押さえた。
 「ゴメン、サクラ・・・」
 「気にしないで。もう、ずっと前のことだから」
 私は、なるべく笑って見える顔を作って言った。
 「そう、なの?」
 「・・・もう、3年も前」
 「・・・・・・」
 沈黙するみつみ。
 「だから、気にしないで」
 ・・・やはり、嫌になっただろうか。
 母親も変だと言っておいて、父親も・・・となると。
 ところが、次の瞬間、彼女はすぐに持ち前の明るさを取り戻していた。
 「うん、分かった。サクラがそう言うなら」
 そして、笑顔。
 それは、私の心を癒してくれるかのような笑顔だった。
 「ありがとう」
 ここでありがとう、というのも変な気がしたが、何となくそう言いたかった。
 そうして私達は、日が暮れるまで、くだらない話を続けていた・・・。




次のページへ
前のページへ

「狂記」のトップへ