――3――


 放課後。
 先生が教室から去って行くと同時に、みつみが話しかけてきた。
 「ねえねえ、相原さん、今日はもう帰るの?」
 「・・・・・・?」
 私は、彼女の言葉の意図がつかめず、何も答えられなかった。
 「良かったら、一緒に帰らない?」
 一緒に・・・?
 そんな風に誘われるのは、始めてだ。
 「・・・構わないけれど」
 少し戸惑った後、短くそう答える。
 「よしっ、じゃ、帰ろっ!」
 彼女は、元気良くそう言い、カバンを持って席を立った。
 「あ・・・」
 そこで、私はあることに気がついた。
 ・・・馨君。
 今日も校門付近で待っているのではないだろうか。ここ数日、ずっとそうであったように。
 「ん?どうしたの?」
 席を立つこともしない私を不信に思ったのか、みつみが私の顔を覗き込むようにして問う。
 「・・・裏門から」
 「え?ああ、裏門から出るの?いいけど」
 特に気に留めた様子も無く、彼女は簡単に了承してくれた。これなら、馨君に会うことも無いだろう。
 そして私達は、昇降口から裏門へと向かった。
 「家、こっちからの方が近いの?」
 みつみが当然出るであろう質問を投げかけてきた。
 「遠い」
 「へ?じゃあ、何で?」
 「ちょっと・・・今、会いたくない人がいるから」
 正確には、会いたくない訳ではない。むしろ、今朝のこともあるし、会っておきたいくらいだ。
 でも・・・今は、みつみがいる。
 みつみと馨君が会うのは・・・嫌な気がした。
 二人は、別の世界の人間なのだ。
 何故か、そう感じていた。
 そんな不明瞭な理由にも関わらず、みつみはそれ以上介入することをしなかった。それが、何となく嬉しい。
 「ねえ、相原さん」
 「何」
 「ああ言っといて何なんだけどさ・・・」
 「・・・?」
 「相原さんの下の名前って、何だっけ?」
 ちょっとうつむくような仕草で、みつみが言う。先程、私がみつみの名を知らなかったのを大笑いした手前、なかなか言い難かったのであろう。
 「朔良(さくら)」
 「さくら・・・花の桜?」
 「いいえ」
 「もしかして・・・結構難しい字?」
 「そう、かも知れない・・・『さく』の方は。でも、『ら』は、良い、悪いの『良』だから」
 「へぇ。すごい、カッコイイね、それって」
 ・・・名前に格好良いも悪いも無いように思うが。
 しかしまあ、悪い気はしない。私も、自分の名前は気に入っていたから。・・・数少ない、自分のことで好きなものかも知れない。まあ、親が付けたもので、私の意思は全く含まれてはいないのだが。
 みつみは、うん、とか、へえ、とかしきりに感心していた。そんなに気に入ったのか。
 「あたしなんて、全部ひらがなだしなぁ。憧れるなぁ」
 「・・・そう」
 「うん。あ、そうだ!これから、サクラ、って呼んでもいい?」
 「構わないけれど」
 「やった!何か、呼べるだけでも満足!」
 それだけのことで、みつみは満面の笑みを浮かべ、喜んでいた。
 感情を素直に表現するタイプなのだろう。
 「じゃあ・・・サクラ」
 嬉しそうに、その名を呼ぶみつみ。
 「何」
 「呼んでみただけっ!」
 あははっ、と笑う彼女。
 みつみなりの冗談なのだろう。悪い気はしない。
 そんな風にはしゃぐ彼女は、教室にいる時よりも随分子供っぽく見えた。
 ・・・知らなかった。
 あの人形のようなヒトビトの群れの中に、彼女のような人がいたなんて。
 私は、今まで一体、何を拒み続けていたのだろう。
 皆、抜け殻だと思っていた。
 皆、意思を持たぬモノだと思っていた。
 もっと・・・もっと早く彼女の存在に気付いていれば・・・私は、変わっていたかもしれない。
 出会いが、遅すぎた。
 そして私は、今までの自分の行動を心底後悔した。
 「ねえ、サクラ?もしかして怒った?」
 「え?」
 「い、いや、黙り込んじゃうから・・・からかいすぎたかなって・・・」
 どうやら、私は深刻な顔をしていたらしい。
 彼女は、そんな私の顔を、申し訳なさそうにうかがっていた。
 「そんなこと、無い」
 できるだけ、口の端を持ち上げながらそう言った。
 「ああ、良かった。いきなり怒らせちゃったかと思ったよ」
 ふう、と大袈裟に溜め息を吐いて見せる。
 「そんな時はね、黙ってないで、ツッコミの一つくらい入れたっていいんだよ?」
 「・・・つっこみ?」
 良く分からない単語が出てきた。
 「うん。こら!って」
 言って、左手で私の頭に手刀を当てるフリをする。
 「・・・・・・」
 「も、もしかして、本気で分かってないの・・・?」
 みつみは、意外そうな顔、を通り越して、驚愕の表情を見せる。
 「・・・ごめんなさい」
 「あ、いいのいいの、謝らなくっても!」
 慌てて言うみつみ。
 「いやぁ・・・何て言うか、思ってた以上だわ」
 「・・・?」
 「い、いや、こっちの話!」
 そして、そんなことを話していると、目の前に分かれ道が現れた。
 私達は、そこで立ち止まった。
 「サクラ、家、どっち?」
 「左」
 「あぁ〜、逆だ」
 「・・・そう。それじゃあ・・・」
 さよなら、と言いかけたとき、みつみが少し遠慮がちに、こう言った。
 「あのさ、今から、サクラの家に遊びに行っちゃ・・・ダメ、かな?」
 不意の提案に、私は正直戸惑っていた。
 もちろん、友達を家に招くなんてことはしたことが無いし、これからも無いだろうと思っていた。
 「・・・・・・」
 「あ、ダメ?何かあるの?」
 「いや・・・」
 私は、考えていた。
 みつみと、もう少し話していたい。驚くべきことに、私は今、そう感じている。
 しかし・・・私の家に来ることで、みつみは私を嫌いになりはしないだろうか。
 そんな不安が、私の頭を支配していた。
 「じゃ、いいの?」
 「・・・構わないけれど・・・」
 「何か、あるの?」
 私は、意を決し、みつみに話し出した。
 「家・・・お母さんが、いる」
 「うん。それで?」
 「ちょっと、変わった人だから・・・」
 「ああ、それくらいいいよ。どこのお母さんも一緒だって。皆、変なところくらいあるよ」
 「いや・・・多分、驚くくらい、変わってるから」
 ――と、言うよりも・・・気が狂れている。
 「?」
 彼女は、疑問の顔を浮かべたが、あまり考え込まず、私の家に来ることになった。
 私は・・・少し、怯えていた。
 何も起こらないとは、思うけれど。
 心配では、ある。




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