後手に回るのは好きじゃない。
僕は自らアクティブに動き回る方ではないけれど、主導権は持っておきたいタイプだ。
・・・客観的に述べるとすげぇワガママな人だな。
ともあれ、今は夕月の出方を待つしかできない。
そんな現状が、どうにも苛立たしかった。
勿論、僕にできることはできるだけやってるんだけどね、これでも。
さてさて、話は変わるが、ここで改めてロアについて語ろう。
ロアとは、特定の地域内で語られる噂が具現化した怪物のことだ。
この時、ロアの強さは噂を知る人の数とその深さ、信じる度合いで決まる。
つまり多くの人が強く「実在する」と信じる噂ほど強いロアになる。
これは僕らが実際に体験し、導き出した答えである。
後々伊崎先生に確認を取ったが、概ね間違ってないらしい。
ここで――例外に当たるケースがあることが分かるだろう。
それは、ロア・遠野輪廻の存在。
あれは元を辿れば電話ボックスの噂である。
そこに小麦の存在が加わり、「未来の小麦」となった。
未来の小麦ということは、当然現在の小麦と同等か、それ以上の強さとなる。
遠野輪廻は、存在するのに必要最低限の噂レベルで、その強さを発揮できるのだ。
遠野輪廻の特殊性は、ここにある。
実に厄介な存在と言えるだろう。
そして、僕は前々から考えていた。
・・・小麦は、強くなった。
じゃあ、「未来の小麦」は?
強くなった小麦に合わせて、より強くなるのではないか?
小麦はまだまだ成長途中だ。
遠野輪廻が具体的に何年後の小麦なのか不明だが、5年や10年では衰えないだろう。
むしろ、絶対強くなっているはずだ。
そうなると、「現在の小麦」は「未来の小麦」には絶対勝てない道理になってしまう。
僕らが勝つには、この道理を埋めなければならないのだ。
当然――それは、僕の役割。
夕月明と僕、どちらがパートナーとして優秀であるか。
この闘いは、それこそが問われている。
そして現在は、どう贔屓目に見ても・・・僕の完敗なのである。
ふう、とひとつ息を吐く。
放課後、小麦と歩く帰り道。
夕日を浴びながら通学路を歩いていると、何だか無性にさみしい気分になってくる。
「ハル君、疲れてる?」
そんな僕を、心配そうな顔で小麦が覗き込んだ。
「いや、んなことは――ないこと、ない、かな」
「どっちだよー」
咄嗟に嘘を吐き損ねた感じ。
いかんいかん。小麦に心配をかけているようではまだまだである。
何だかんだ言って、直接闘うのは小麦なのだから。
「大丈夫、気にすんな」
これ以上無駄に心配させるわけにもいくまい。
僕はいつも通り、笑顔を作って答える。
そんな僕の内心を知ってか知らずか――
「ハル君は、さ」
小麦は、進行方向を真っ直ぐ向いて、語りかけた。
「頑張ってると、思うよ」
「小麦・・・」
「あたしはバカだから。ムカつく奴がいたら殴る! 蹴る!・・・そんだけなんだよね。
でも――今回は、それじゃダメなんでしょ?それくらいは、あたしにも分かるよ。
だからハル君は毎日頑張ってる。あたしには、絶対にできないことようなことを」
そんな小麦の言葉に、僕は少なからず驚いた。
意外にも、小麦は小麦なりに考えていたのだ。
「・・・僕はてっきり、毎度働かずにサボりやがって、程度に思われてるのかと」
「そんなわけないよ!」
それは何気に酷いよハル君!? と、頬を膨らませて不満を口にする。
が、すぐにまた真面目な顔に戻って、
「・・・でもまぁ、ちょっと前までは、ひとりでもやれる! とか思ってた、かな」
と付け足した。
――それはそうだろう。
小麦は強い。
今回のようなイレギュラーさえなければ、もう僕の事前調査や戦略など不要だ。
だけど。
「でもさ。やっぱりひとりじゃダメなんだよ。あたしだけじゃ、赤マントには勝てなかった」
そう――まれに、イレギュラーとしか言いようがない、理不尽な出来事が起こる。
ロアに、絶対ということはない。
そして、ひとつの手違いが、致命傷になりかねない。
僕は、そんな万が一の可能性すら潰してしまいたい。そうしなければならない。
慎重に慎重を重ねて。
「今回も、そうなんでしょ?多分、あのもうひとりのあたしは――赤マントより強いよ」
赤マントより、今の小麦は強い。
今の小麦より、遠野輪廻は強い。
だから、赤マントより遠野輪廻の方が圧倒的に強い。
そんなパワーバランスだ。
「だからさ、あたしには・・・ハル君が必要なんだよ」
僕が、必要。
必要にされる――頼られるというのは、何だか。
うん、何だか、こう。
悪い気はしない・・・かな。
そんな風に、僕は思った。
妙にムズ痒い胸の内をごまかすように、僕は呟く。
「そうか。だったら、お兄さん頑張んないとなー」
「・・・もぉー、い、いつまでもお兄ちゃんじゃないってばぁ!」
「ふふん、いつまでたっても、小麦は小麦だろー」
「・・・そうだけど! そうだけど、違うもん。あたしは――」
急に、小麦の足が止まる。
そしてその身に纏う空気が変わる。
一体、どうしたって――
「あたしは、そんなハル君が、好き・・・だよ」
「え・・・?」
「なっ・・・何驚いてんの、今更。そんなの、当たり前・・・じゃない」
顔を赤くして、恥ずかしそうに小麦は言った。
え。
コムギさん。
マジですか。
・・・マジモードですか。
僕はもう一度小麦を見つめる。
嘘とか、冗談の類には見えない、かな。
好き・・・か。
うん、そりゃあ、嫌われてはないだろうと思ってたけども。
はっきりと言葉にされると、さすがにね。
「いつも一緒にいてくれて。助けてくれて。優しくしてくれて。子供の頃からずっと――。
そ、それで好きにならないわけ、ないでしょ」
照れているのは小麦も一緒らしい。
いつも考えなしの小麦といえど、さすがにこういう状況では恥ずかしいんだな。
「ハル君は?あたしのこと・・・その、どう思ってるのかな?」
そして更に、そんな恥ずかしいことを聞く。
そそそ、そんなものは、そりゃあ――決まっているじゃないか。
「小麦は――小麦だよ」
「もう、またそんなこと言ってごまかすんだから!」
ぺしっ、と僕の肩を叩く。
「――ぐぉっ、痛ぇよ!?」
小麦の「ぺしっ」は、そんな可愛らしい擬音で表せるレベルをはるかに越えていた。
例えるなら、標準的男子高校生の全力正拳突きくらい?
「まーたまたぁ。本当ハル君は調子いいんだから!」
ぺしっ。ぺしっ。
「あがっ、ぬおっ!?」
やめて! マジでやめてください!
僕はお前みたいに近接パワータイプじゃないんだからね!?
「――で?」
がしっ。
今度は、回避態勢に入った僕の右腕袖口を掴む。
ほら、よくラブコメなんかであるじゃないか。
小さくて可愛い女の子が、きゅっと主人公の袖口を掴んでくるシーン。
あれを思い浮かべて欲しい。
で、そこに込められた力が万力クラスだと思って欲しい。
「きゅっ」じゃなくで、「ぎりぎりっ」とか「みちみちっ」とかそういう雰囲気。
完全に僕を拘束してるよねコイツ!?
「ちょ、小麦っ! や、やめっ、手首がちぎれる!?」
「だから。ハル君は・・・どう思ってるのかなって、聞いてるんだけどな?」
目が笑っていなかった。
なるほど、これがヤンデレですね。分かりました。
もしこの状態で「僕、別にお前のことなんか好きじゃねえし」とか言おうものなら。
そうだな。まぁ、よくて右手切断くらい?
・・・怖いなんてもんじゃねえ。
「おおお、落ち着け小麦。いいか、まずはこの手を離せ。話はそれからだ」
「・・・ちゃんと答えてくれる?」
「お、おう、大丈夫だから。安心していいぞ」
「うん・・・」
ようやく小麦が僕を解放してくれる。
ふう、まずは第一関門突破、である。
しかし、さてこれはどうしたものか・・・。
「いいか、小麦」
「うん」
「ぼ、僕は」
「うん」
「僕はっ、その・・・こ、小麦のことをどう思ってるかというと、だな」
「うん」
「・・・その・・・す」
「ちょっと待ってもらおうか」
――絶妙のタイミングで待ったがかかる。
た、助かった!
僕は驚きと安堵の気持ちで声のした方を振り向いた。
「危ない危ない。目を離すとすぐこれだ――」
そこには。
「ふふふ、久し振りだね、小麦ちゃんに虎春君」
どんな景色にも馴染まない、喪服の男――。
「・・・夕月・・・!」
そう。
災の元凶、夕月明。
いつからいたのか。どこから現れたのか。
奴はさも当然のように、そこに立っていた。
小麦は無言で臨戦態勢に入る。
「おお、怖い怖い――輪廻」
その言葉に反応するように、夕月の前に黒い巫女装束の女性が現れた。
遠野輪廻。
彼女は「風舞」という瞬間移動スキルを持っている。
こんな風に出現することなど造作もない。
そして、その遠野輪廻も戦闘モードに切り替わる。
「まあ待て、輪廻。今日は――話をしにきたんだから」
「話・・・だと?」
夕月の言葉は全て癇に障る。僕は苛立ちを隠すこともせず、答えた。
「もう、あんたと話すことなんか何もねぇはずだけどな」
「そう言うなよ虎春君。つれないなぁ」
「はん。虫唾が走るぜ、人殺しめ・・・ッ」
そうだ。こいつは――仲間であるはずの久我さんを殺した。
役に立たなくなったからなのか。情報を漏らされるのが怖かったのか。
それとも、完全に気まぐれなのか。
どんな理由にしても、許せるはずもなかった。
小麦の件もあるから、とうに許す気もなかったのだが――もはや決定的だ。
「それは描のことか?いやいや、殺したのは俺じゃないよ。俺が殺せるわけないだろう?」
「ふざけんな! お前以外に誰がやるってんだ!」
「だから、俺じゃないよ。描を殺したのは輪廻だ」
「き、貴様ァ・・・ッ!」
そんな詭弁にもならないことを、よくも平然と言えるものだ。
癇に障る、どころではない。
おぞましい。忌まわしい。呪わしい。
「ま、そんなことはもうどうでもいいじゃないか」
「どうでもいいだと!? テメェ!」
「いや、そりゃ止められなかったのは俺にも責任がある。
しおらしく悔い改めれば描が生き返る、というならそうするさ。
俺としても、彼女を失うのは辛いからね。
何せ・・・彼女は俺の言うことなら何でも聞くいい玩具だったから」
平然と。
あくまでも悪びれることなく、夕月はそう言ってのけた。
「ふふふ、知ってるかい。描は俺が命じれば靴だって平気で舐めたんだぜ?」
そんなことを、自慢気に――。
僕の頭の中で、何かが音を立てて切れる。
刹那。
小麦が何も言わずに夕月めがけて突進していった。
瞬間移動のようなその瞬発力で、距離は瞬時にゼロになる。
激しい衝突音。
それはまるで、いつかの再現のように。
「・・・ありがとう、輪廻」
小麦の右腕は、遠野輪廻によって遮断された。
ギリ、と小麦が足を踏みしめる音が聞こえる。
「オマエは、人間じゃない!」
・・・小麦。
怒りや悔しさが綯い交ぜになった表情で、彼女は責める。
「仲間を殺して! バカにして! 平気で笑って! オマエなんか、人間じゃない!」
「ふふふ、おかしいな小麦ちゃん。人間じゃないのは――」
言いかけた夕月の顔が、大きく歪む。
――僕の拳が、夕月にクリーンヒットした。
遠野輪廻を小麦が押さえてくれていたお陰だ。
「あんたはもう、喋るなよ。耳が腐りそうだ」
「ぐっ・・・なかなかやるじゃないか、虎春君。やっぱり若さは素晴らしいね」
殴られてバランスを崩した夕月は、しかしまだ不敵に笑っている。
この野郎・・・何度でもぶん殴ってやる!
「ハル君っ」
追撃しようとしたところを、小麦に無理矢理引き戻された。
次の瞬間、目の前を炎の槍が横切る。
「――炎舞:香車」
あッ・・・ぶねええええ!
小麦に引っ張られてなければ、今の遠野輪廻の一撃で僕なんか即死だ。
冷静に・・・冷静になれ。
僕は直接闘えない。あくまでも、参謀のポジションなのだ。
「輪廻――もういい、やりすぎだ」
口元に滲む血を拭いながら、夕月は遠野輪廻に命じた。
くそ、やはり簡単にはいかない、か。
「虎春君、まずは冷静になって、聞いて欲しい」
「・・・何を、だよ?」
あれだけのことを言ってこちらの動揺を誘っておきながら、滅茶苦茶な言い分だ。
しかし、これ以上熱くなっても遠野輪廻に返り討ちにあってしまう。
「今日俺はメッセージを伝えにきただけなんだ」
「メッセージ?」
「ああ。ようやく、輪廻の育成が終わった、とね」
遠野輪廻を育て、小麦と再戦すること。
それが、約束だった。
確かに夕月にいいようにあしらわれている感はある。
だがそれを打ち倒してこその勝利であり、真の撃退と言えるのも間違いない。
僕らが目指すのは、夕月と二度と接触しないで済むことなのだ。
「へえ。じゃあ、今からでもやってやる!」
息巻く小麦。
「まあ、落ち着き給えよ小麦ちゃん。こういうのは、セッティングも大事なんだ」
「ちっ、めんどくさいなあ」
「小麦、ちょっと黙って」
僕は、小麦を制して続きを促す。
「場所と日時を決めて、正式に闘うってことだな?」
「その通り」
ふふふ、と不気味に笑う夕月。
「そうだな、3日後の夜、君たちの学園の校庭でどうかな」
「・・・分かった」
「俺が――輪廻が勝ったら、小麦ちゃんは俺のものだ」
「小麦が勝ったら、あんたは二度と僕らの前に顔を出すな」
「いいだろう、約束だ――輪廻、帰るぞ」
言いたいことを言い切って。
夕月は、遠野輪廻を呼び寄せてその腰に手を回した。
「では、3日後に。楽しみにしているよ、小麦ちゃん」
「ふん。あたしは絶対負けない。今度こそあたしが最強だって分からせてあげる」
「ふふふ――」
そんな、気持ちの悪い言葉を残して。
「――風舞」
夕月明と遠野輪廻は、僕らの視界から掻き消えた。
負けられない。
僕は拳を握りしめる。
――勝負は、3日後。
僕にできることは、残りわずかだ。
「ハル君」
先程までの緊張が嘘のように、小麦は柔らかく笑った。
「大丈夫。あたしたちなら、勝てるよ」
あたしたち。
そう、僕と小麦なら。
ふたりなら――きっと、勝てるはずだ。
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