悪夢の終わり、物語の続き:1



例の「赤マント」騒動から数日。

最強のロア・赤マントは見事撃破。事件も一段落し、何事もなかったような日々が戻った。
平和だ。
実に、平和だ。
それが僕には――異常に見えた。
今回は死人が出ているというのに。それも、超有名人、生徒会副会長久我描だ。
それなのに、たった数日でまるで何事もなかったように元の生活に戻るなんて。
少なくとも僕は、僕ひとりだけは、その影響を断ちきれずにいた。

「辛気臭ェツラしてんなァ、オイ」
部室に現れるなりそう言ってのけたのは、顧問である伊崎先生。
どうにも気まぐれで、部室に来る日と来ない日がまちまちである。
「――あれ? 小麦と委員長はどうした?」
「委員長は生徒会、小麦は掃除当番です」
「あー。で、虎春ひとりなわけか。つーかお前マジ暗くねェ?」
半笑いで僕をからかいつつ、僕がいるテーブルの対面に座る先生。
「まぁ・・・色々、考える事が多くて」
「相変わらず苦労性だな、お前はよ」
「そりゃあ、あんなことがあれば誰だってそうなりますよ」
「・・・副会長のこと、か」
言って、スーツのポケットから煙管を取り出す。
先端に何やら詰め込んで口に咥え、すうっと大きく一息。
「先生」
「んー?」
「そろそろ、教えてもらってもいいですか」
「あー・・・」
「もうのらりくらりと躱すのはやめてくださいよ。何たって――今回は死人が出てる」
そう。
この人は、きっと何か知っている。
もしかしたらそれは、もの凄く大きく、重要なことなのかも知れない。
今の僕は、とにかく情報が欲しいのだ。
攻めるにしても、守るにしても。
どうも話したくないらしいが、こっちだってもうなりふりかまっていられない。
「そう、だな」
観念したように呟き、溜息を吐く。
「これ以上隠すのも、無意味か」
「やっぱり何か、知ってるんですね」
「ああ、ま、大したことは知らねェ。だからあんまり期待はすんな」
さて、どこから話したモンかねェ――と苦笑混じりに呟き、伊崎先生は語り始める。

「俺は・・・まァなんだ。結構嘘を吐いてる」
「・・・嘘?」
「そうだ。例えば――俺は、夕月明を、、、、知っている、、、、、
・・・驚いた。全く予想してなかったわけではないが、それでも充分驚愕に値した。
目の前にいるのが僕が知る伊崎先生ではない別の誰かのような、そんな違和感さえ覚えた。
夕月明。
忌まわしく疎ましく憎らしく腹立たしい、呪われた喪服の男。
「言ッとくが、別に仲間ッてオチはねーぞ。ただ、俺も『友達の友達F.O.A.F.』の一員だからな」
「な――そんな!」
「あー、隠してたことは謝る。でもな、あの組織はもう何の力も意味もねェ」
「それでも・・・ロアのことだって、闘い方のことだって、知ってたんじゃないですか!?」
「おう、知ッてたぜ。だから、たまにトレーニングしてやッてただろ?」
――トレーニング。
僕はその言葉にハッとする。
そう。切断魔ジャック・ザ・リッパー――あれは、伊崎先生が作り出したロアだった。
つまり。
語り部、、、――」
「ああ、夕月のヤローはそんな名前を付けたらしいな」
そうか。伊崎先生は、ロアと語り部のことを知った上で、狙ってロアを作り出したのか。
それって。
「小麦を鍛えるため、だったんですか?」
「だから、それは最初からそうだと言ッてただろ?」
・・・そうだったような気もする。
でも、そんなもん完全に嘘かテキトーなことを言ってるだけだと思っていた。
っていうかこの人にそんな思慮があったとは到底思えな
「お前は今失礼なことを考えているな?」
「ハハハとんでもない!」
笑ってごまかしてみた。
ぶっちゃけ超意外だった。黙っておこう。
「ま、それよりも、だ」
こほん、と小さく咳払い。先生が話を続ける。
「組織内で夕月はそこそこ有名だ。勝手に下部組織作ッたりな。でもそれだけだ」
「処罰とか、そういうのはなかったんですか?」
「下部組織を作るな、という規定はないからな」
「適当だ・・・」
「そう、テキトーなのさ、あの組織は。だから俺も、正直何も知らないのと大差はない」
末端まで情報が行き渡らない。
命令が伝わらない。
管理できない。
大きな組織というものは、往々にしてそういうものだと聞く。
「だが――更に有名なのは、神荻小麦、、、、遠野輪廻、、、、だ」
「なっ――小麦と、小麦のお母さん?」
「そう。遠野は、組織の実験台だッた。そして小麦はその実験結果――サンプル、、、、だ」
実験結果・・・だと?
何だ、その忌々しい言葉は。
小麦のお母さんが、実験台?
小麦が、サンプル?
腹の中に泥のような憎悪が渦巻く。
何が、何を、何で、何故、なぜ――!?
額に嫌な汗が浮かぶ。
ああ、頭が痛い――。
そんな中でも、僕は自然と、その意味を導き出す。
それは、つまり。

「小麦は、人間とロアのハーフだ」

――人間と、ロアの、ハーフ。
人間・遠野輪廻は、ロアと・・・怪物との間に子供を作らされた。
その子供が、小麦だと。
そう言うのか。
「賢いお前のことだ、これまで全く気付かなかッた・・・わけでも、ないだろ?」
「・・・気付きませんよ、そんなこと。気付くわけが、ない」
「そうか?」
「ええ」
「ま――それならそれで、いいんだけどよ」
それから。
先生は、補足するように語ってくれた。
実験は、組織内の極少数による過激派によって独自に行われたこと。
その過激派は他のグループによって既に消され、遠野輪廻と小麦の存在が知れ渡ったこと。
組織の暗部であり罪の象徴であるとして、小麦は保護対象となっていること。
小麦を引き取った小萩さんも組織の一員であり、学内での監視役が伊崎先生であること。
「誤解だけはしないで欲しい。俺も神荻さんも――小麦に幸せになッて欲しいんだ」
酷い実験の犠牲者ではあるけれど。
ひとりの人間として、当たり前に幸せになる権利がある。
そう願っている――。
小萩さんを知る僕には、それは疑う余地もないことだった。
それは、先生だって。
信用に足る人物だと、僕は思っているから。

長い沈黙が続いた。
部室の外から聞こえる運動部の掛け声。演劇部の発声練習。ブラスバンドの奏でる音色。
淡い夕日が差し込む部屋の中、僕は頭を抱えるようにして冷静さを取り戻そうとしている。
普段ならこんな雰囲気に耐えられないであろう伊崎先生も、今は黙って煙管をふかしていた。
――小麦は小麦。
生い立ちも何も、別に関係ない。
だから僕も、これまでと態度を変える必要はないし、むしろ変えちゃいけない。
そんな当然の結論は、既に出ている。
あとはただ冷静になるだけ。
新しい事実を、当然のこととして受け入れるだけ。
「――よし」
顔を上げ、パンッと強く両頬を張る。
「オッケー、飲み込みました」
「ハッ、さすがだよ、ハル君」
わざとらしい。
これくらいは受け入れろと、乗り越えてみせろと、そういう意図だったくせに。
さて。
事実を事実として、しっかりと乗り越えて。問題は、そこから先なのだ。
「先生。例えば、夕月が操るロアの弱点とか知りませんか?」
「あー、知らんなァ」
「じゃあ、夕月の居場所とか?」
「知らん」
「次の夕月の狙いは?」
「知るわけねーだろ」
「・・・役に立たねえ!」
「だから最初から言ッてるだろうが! 俺に頼るな!」
うわぁ! 逆ギレかよ!
何だこの大人。最低だ・・・。
「そもそも俺ァ、夕月のそもそもの目的も分からねえんだよ」
「あー。それはアレですよ、ロリコンだから」
「それそれ。意味が分からん。どこまでマジなんだ?」
「目を見た感じ、全部マジっぽかったですよ」
「やッぱりそうかー・・・理解できねー」
今度は先生が頭を抱える番だった。
まあ、あんな奴は理解しなくていいと思うんだけどね。
しかし・・・こうなると、本気で困ったな。
敵は夕月明。そして、「未来の小麦」――ロア・遠野輪廻。
小麦は強くなった。
それはもう、見違えるほどに。
しかし、これでいいのか?
勝てるのか?
不安は尽きない。
それほどに、不気味だった。

と、そこで勢いよく部室の扉が開く。
「ハル君ー、遅くなってごめん!」
小麦だった。
「っと、園絵ちゃんもいたの? 久しぶりー」
「おー。元気か小麦ィー」
「うん! 元気元気!」
言って、にっこりと笑う。
コイツは・・・多分、何も考えてないな。
いや、自分は勝てるとしか思ってない。
それが小麦の長所であり、強さなのだ。
僕は小さく溜息を吐いて。
「小麦、帰るぞー」
「うん!」
取り敢えず、いつものように。
ありのままの小麦を、尊重すべきなのだと思った。
そして。
それで足りない分は――僕が補ってやればいい。
ただそれだけのことなのだ。
誰にも気付かれないように、僕はひとり、覚悟を決めた。
小麦と、小麦がいる僕の世界を守るために。



NEXT


INDEX