あの日から、数回目の終戦記念日。
私は今、弟――和彦の車に揺られております。
「姉さん、一体――何しに行くのさ」
和彦が、助手席の私に尋ねました。
「うふふ――お墓参り、かしら」
「その格好で墓参り・・・ねえ。病院の裏手に墓なんてあったかな」
「あるのですよ」
ふうん、と言って、和彦は黙り込んでしまいました。
あの後――宗一さんが他界なさったしばらく後、私は父の計らいで見ず知らずの男性と結婚させられました。
反抗したものの、私個人では抵抗できないほどに大きな流れがある――所謂政略結婚のようなもので。私が逆らえば多くの人に迷惑がかかると知って、仕方無く折れました。
今の私は、戸籍上、水島文ではなく――塚本文なのです。
とはいえ、塚本とは夫婦とは言い難い仲で、会話どころかまともに対面することもそうありません。それは私にとって喜ばしいことでした。
だって私は――水島でも、塚本でもなく、呉葉文なのですから。
窓の外に目をやると、風景が風のように滑っていました。
・・・戦後、この辺りは急速に復興していきました。とはいえ、大した被害も無かったのですから、目に見える劇的な変化は少なかったのですが・・・それでも、宗一さんの知る福岡の街とは随分違うことでしょう。
山奥にあったあの病院の周りにも、色々な建物が建ちました。道路もできました。
全てが――私達の思い出を消していくように、少しずつ、少しずつ変わっていきました。
それでも、私の想いは、変わることはありません。
宗一さん――。
そこで、車が緩々と止まりました。
「着いたぜ、姉さん」
「あ・・・すみません。有難う」
「ふん・・・姉さん、墓場でデエトでもする気かい」
「なっ・・・」
「あははっ、だって姉さん。そんな少女のような服装で・・・顔つきも、なんだかずっと若い女の子みたいじゃないか」
「そう・・・かしら」
「まあ良いさ。俺も、姉さんのそんな顔を見るのは嫌いじゃない。なあ、付いて行っても・・・良いかい」
「ええ、構いませんよ」
私達は、笑い合いながら車を降りました。
そこは、病院の裏手――あの丘のすぐ側でした。
この道を登ると、まるであの時に帰ったよう――。今にも、耳元に宗一さんの荒い呼吸が聞こえてきそうです。
「どんな奴なんだろうね。天下の塚本夫人にこんな顔をさせる相手っていうのは」
「・・・呉葉さん、と言えば分かるでしょう」
「なっ・・・」
その、あまりにも間の抜けた和彦の顔がおかしくて、私は思わず吹き出してしまいました。
以前、結婚の話をした時の父は気付かなかったようですが、流石に今の和彦には分かるようです。
「呉葉って・・・戦前からずっと政治界を動かしてた・・・あの」
「・・・・・・あまり、好きな話ではありません」
だって、それは宗一さんのお父様と、そのご兄弟の方々の話だから。身内の話をする時の宗一さんの辛そうなお顔が浮かんでしまうから。
自分に関係の無いところで、自分が権力を振るっているのが分かるのです――。
そんなことを、あの人は仰っていました。
今の私には、当時のその言葉が痛いほど分かってしまいます。
「さあ、和彦。もう少しです」
「あ・・・ああ」
呆けた和彦を追い抜き、私はあの人が眠る場所へと向かいました。
そして、眼前に広がる、私の故郷の風景――。
少し街並みは変わってしまったけれど、ここに吹く風は変わらない。麦わら帽が風に飛ばされないように手で押さえながら、そう感じました。
「宗一さん――お久しぶりですね」
私は、大きな桜の木の隣に立てられた杭の墓標に話しかけました。
しゃがみ込み、手を合わせます。
「正確には、丁度一年ぶり――ですか。文は、今でも元気です」
「それが・・・呉葉さんか」
後ろから、和彦の声が聞こえました。
「しかし、こんな丘の上に――しかもそんないい加減な墓標だけだなんて。本当に呉葉家の人間なのかい」
「きちんとしたお墓は――別にあります。一度だけ行きましたけれど、あそこは・・・違うのです」
「違う・・・って、何が」
「あそこは・・・権力者のためのお墓。そう感じられました。宗一さんの遺骨は確かにあそこにしか無いけれど、宗一さんの魂は――キットここに眠っているから」
「そんなもんかね」
そんなものなのです。私は小さくそう言いました。
今でも・・・今でも思い出すことができます。
宗一さんの吐息、熱、言葉。
愛しいあの人が――私の中で息絶えていく一部始終。
悲しくないわけでは無いけれど、私は――それを誇りに思っています。
私は、宗一さんの最期の全てを看取った人間だから。
宗一さんの愛情を一身に受けた人間だから。
そう、あれはキット、宗一さんの覚悟の表れだったのだと思います。
私を傷つけることを極端に嫌ったあの人が、敢えて私の腕の中で逝ったのですから、そこには相当な覚悟があったことでしょう。
私を大切に思い、そしてそれ故に傷付け・・・本当に心から愛し抜く覚悟。
「私は――変わりません。ほら、宗一さん――見て下さい。あの日のままの・・・格好でしょう」
白のブラウスと、お揃いのスカアト。そして、二度も宗一さんに捕まえてもらった麦わら帽。
ブラウスに薄く残った血の後が、あの日を強く思わせます。
和彦は、私の想いの数分の一でも察してくれたのでしょうか。何も言いません。
私は再び手を合わせると、視線を墓標に据えたままで和彦に問いました。
「ねえ、和彦・・・これは、浮気になるのでしょうか」
「ん・・・旧い友人の墓参りくらい、浮気にはならんだろうさ」
「違います」
「え・・・」
「本当に愛した人がここに眠っているのに、私は――形式上とはいえ――別の人と結婚してしまっている・・・これは、明らかな浮気になるのではないでしょうか」
「そんな、姉さん・・・」
和彦は、呆れた、といった風に溜息を吐きました。
「まぁ、姉さんが義兄さんを好いていないことくらいは知っているけどね。今のは――聞かなかったことにしておくよ」
「そう・・・」
和彦には、和彦の立場がある。そう言うことでしょうか。
「でも」
「・・・・・・」
「その、呉葉さんも・・・形式上の、愛の無い婚姻にどうこう言う人じゃあ・・・ないんだろ」
「そう・・・ですね」
「だったら、良いじゃないか。姉さんは今でもその人だけを愛してる。それは分かった。だったら・・・頑固な姉さんのことだ、何を言っても無駄だろう。一生その人だけを愛してれば良い。どうせ、義兄さんとの仲もあって無いようなものなんだろうしさ」
和彦にそんなことを言われるなんて、意外でした。
まるで、私の言いたいことを代弁してくれたような・・・そんな気分です。さすがは血の繋がった弟といったところでしょうか。
改めて和彦を振り返ると、今俺が言ったことも聞かなかったことにしてくれよ、と言ってそっぽを向いてしまいました。照れているのでしょう。
「宗一さん――今、和彦が言った通りです」
私は、一生――貴方だけを。
「貴方に捧げた一生は、他の誰にもあげません」
だから、私も、貴方のように――。
「平和の戻ったこの世界で、私も――精一杯に生きていこうと思います。貴方の魂と共に・・・」
ビュウゥゥゥ・・・。
一際強い風が吹きつけます。
『文さん・・・いつものように、微笑っておくれ』
その風の中に、宗一さんの声が聞こえた気がしました。
「はい・・・宗一さん」
そして私は、麦わら帽が風に飛ばないように両手に抱えて。
「ねえ、あなた。私は――上手に微笑えていますか」
そう言って、私は今度こそ――しっかりと微笑みました。
了
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