Hard rain



――1――

 僕が、彼女――野仲鈴(のなか・すず)に告白されたのは、今週の月曜日、バイトから帰る途中のことだった。
 その日、たまたま僕と同じ時間に仕事を終えた彼女を、家まで送っていくことになったのだ。夜道は危険だから、と頼まれたのだが、後で考えれば理由はそれだけではなかったらしい。
 自分で言うのもなんだが、僕は人から好意を寄せられることが少ない人間だ。ファッションセンスも無いし、スポーツもできない。小学生の頃から「目立たない存在」だった。
 そんな僕がどうして、ただのバイト先の後輩でしかない彼女に好かれるのだろう?
 嬉しいとかそういう感情以前に、疑問が頭を駆け巡っていた。
 しかも、人に聞いた話によると、彼女はバイト内でも学校でも有数の人気者であるらしい。なるほど、言われてみれば非常に整った顔立ちをしているし、丁寧な言葉遣いからはどこか知性を感じられる。
 ・・・ますます、僕なんかを気に入った理由が分からない。
 そんなこんなですっかり混乱してしまった僕は、取り敢えず彼女の告白に対する返答を保留させてもらった。しどろもどろで喋っていたので、大層無様だったことだろう。これで一気に嫌われるのではないかと危惧したほどだ。
 「ふぅん、なるほどねー。コウイチ、良かったじゃない。付き合っちゃいなよ」
 くすくすと笑いながら、目の前の女性はそう言った。
 「ヒビキ・・・コウイチはそんな簡単に答えて良いのかと悩んでいるんだぞ。もっと真剣に聞いたらどうだ」
 女性の隣に座る眼鏡をかけた男性が、軽くフォローを入れてくれた。
 「マサトさんの言う通りですよ、ヒビキさん・・・」
 僕は、吐き出すようにそうぼやく。
 今、僕の話を聞いてくれているのは、僕の隣室に住むフリーターの二ノ宮雅人(にのみや・まさと)さんと、春日響(かすが・ひびき)さんの二人だ。どちらも僕より一つ年上の21歳で、ヒビキさんは同じ大学の先輩でもある。
 そして僕らが話しているこの場所は、そのマサトさんの部屋だ。真面目な彼らしく、きっちりと整理整頓が行き届いている。部屋の作りは僕のそれと同じはずなのに、住む人間が違うだけでこうも変わるものなのかといつも思う。
 この二人は、中学生の頃からの仲であり、恋人同士でもある。僕の目から見ても、お似合いの二人だ。勢い重視のヒビキさんと、冷静沈着かつ聡明なマサトさん。正反対にも見える二人だが、その実、歯車のように上手く噛み合っている二人だと思う。
 「だってキミさー」
 ヒビキさんが、言葉を返してくる。
 「彼女いない暦、イコール、自分の年齢でしょ? イマドキそれは無いってぇ」
 ・・・痛い台詞が耳に刺さる。
 「ヒビキ。失礼だぞ」
 「――とか言いつつ、笑いを堪えてませんか・・・?」
 マサトさんの口元は、ひくひくと痙攣していた。
 「いや・・・そんなことはない」
 「・・・凄いムリしてるわねぇ、マサト?」
 そう言って、ヒビキさんはもう一度笑った。
 そして――その笑顔を見て、僕はふと思った。
 野仲さんの申し出に即答できなかったのは――まだ、ヒビキさんのことを引きずっているからなんじゃないか、と。
 初めて会った時から、僕は、マサトさんの隣で笑うヒビキさんのことが好きだった。そして、一年以上かけてその想いを封印した。
 そう・・・もう、あの気持ちは消してしまったのだ。殺してしまったのだ。
 どんなに想っても、ヒビキさんは、マサトさん以上に誰かを好きになることは無い。好きになったと同時に感じたその感覚は、これまでの付き合いで間違いではなかったと確認できた。
 だから、そんなことなんてあるはずが無い。あってはいけない。
 不意に頭に浮かんだ考えを、僕は即座に否定した。
 「・・・とにかく。相手のことをよく知ることが先決だと思うが」
 マサトさんが、真面目な顔に戻ってそう言った。
 「よく知ること・・・ですか」
 「ああ。相手がどんな人なのか。その人となりを知らずして、良い関係を築くことなんてできないからね。付き合うにしろ・・・断るにしろ」
 「はぁ・・・確かに」
 「お堅い物言いですこと。よーするに、オトモダチからでも付き合っちゃえってコトでしょ?」
 やや呆れたように、ヒビキさんが横槍を入れる。
 「そういうわけじゃない・・・が、まあ、ヒビキ流に言うとそうなのかも知れないな」
 そんな彼女に、マサトさんは軽く笑いながらそう答えた。
 相手の人となり・・・ねえ。
 僕は、頭の中に野仲さんを浮かべようとした。当然、顔なんかは容易に浮かぶのだが、普段どんな服を着ているのか、どんな表情をするのか、どんな趣味があるのか・・・といったことは何一つ浮かばなかった。僕にとってはただの後輩だったのだ、それも当然だろう。
 「そうですね・・・僕は、彼女のことを何も知らない。だったら、まずは相手がどんな人なのかを知るべきですよね。相手のことを知らなきゃ付き合えるワケないし、断るにしても・・・無下に断るのって何だか嫌だし」
 「ああ、そういうことだ。もしかしたら・・・その人がコウイチの運命の人なのかも知れないしな」
 言って、マサトさんにしては珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 「――やっぱり、少しバカにしてるでしょう?」
 「・・・分かるか?」
 ニヤリと口の端を持ち上げて、マサトさんは言った。その言葉に、ヒビキさんは普段にも増しておかしそうに爆笑した。


 その日、自分の部屋で。
 僕は携帯を取り出すと、登録電話番号の中から「野仲」を呼び出してコールのボタンを押した。
 『あ、こんばんは』
 三度目のコール音が鳴り終わると同時に、彼女が電話に出た。
 「野仲さん? えっと、大友(おおとも)だけど」
 『はい、あの・・・もしかして』
 「うん、この間のことなんだけど・・・」
 『は・・・はい』
 電話越しに、野仲さんの緊張が伝わってくる。こっちまで緊張してしまいそうだ。
 「色々考えたんだけど、僕、キミのことを何も知らないよね。だから・・・付き合うにしてもそうじゃないにしても、このままじゃ何とも返事ができないと思うんだ」
 『あ・・・そう、ですよね・・・』
 彼女の声が、沈む。
 「えと、だからその、別に付き合うのが駄目ってワケじゃなくて。ただ、今のままじゃ返事ができないから。キミのことをもっと知ってからじゃ遅いかな、って思って」
 『あっ、あ・・・はい! 全然遅くないです! 大丈夫ですっ!』
 落ちこんだ先ほどの声が嘘のように、元気良くそう答える彼女。
 「じゃあ、最初は取り敢えず友達から、ってことで・・・」
 あまりにも月並みな言い方に、我ながらちょっと照れる。
 『はい、分かりました』
 それでも、彼女は嬉しそうにそう答えてくれる。
 「えと・・・宜しくお願いします」
 『はい、宜しくお願いしますっ!』
 何となく間抜けで、でもどこか微笑ましいような・・・そんなやり取り。
 それから僕らは、次に会う日を確認して電話を切った。切り際の彼女の「おやすみなさい」という一言が、いつまでも暖かく胸に残った。
 ――こういうの、良いなあ。
 そんなリアルな言葉に、諦めかけていた夢のような状況を思った僕は、今更になって舞い上がってしまった。




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