ケイサン。



「――いずれこの子に名前を付けたら、真っ先に報せよう」

夕月明は、そう言い残して去った。
いつも通り――放課後の部室にて、僕はひとり考える。
次、ヤツと例の黒巫女が現れた時、きっと再戦は避けられないだろう。
黒巫女の能力は凄まじいものだ。
もちろん、それを打ち破った小麦は更に凄まじいということになるのだが。
だからと言って次も同様に勝てるとは限らない。
何せ夕月は、「ロアを育てる」ことができるという。
それが嘘か本当か分からないが、小麦は更に強くなっておくに越したことはないのだ。
さて、ではどのようにすれば小麦を鍛えることができるのだろうか?

少年漫画よろしく、秘密の特訓でもするのか。
それとも、ゲームで言うところの「装備を変える」のか。

どちらも、具体的な方法が浮かばない。
特訓するにも、師匠なんていないからどう訓練するのか分からないし。
後者の方がまだ取っ付きやすい気もするが・・・先日の日傘ぶきはハマっていたと思う。
あれ以上の武器となると・・・。
「王道では刀。それにピストル、マシンガン等の銃火器ってところかな」
そんなもの、どうやって手に入れるというのだ。

そういえば、委員長――二条も、武器を使ってたな。
僕はふと、先日のマキオの件を思い出した。
委員長は、小さな剃刀(恐らくリストカット用)ひとつでロアを圧倒していた。
あの程度の武器は、通常ロアには通じない。
仮に通じたとしても、ロアが出血するところなど見たこともない。

そう、小麦の日傘も、本質的にこれと似ているのだ。
地面を圧し潰す、、、、ほどに叩きつけておきながら、曲がってもいなかった。
更には、黒巫女の必殺技を受けても破れるどころか焦げ痕すら残っていなかった。

有り得ない強度。
有り得ない現象。
有り得ない存在。
それはまるで、ロアそのもの、、、、、、ではないか。

「ハル君、お待たせっ」

不意に部室のドアが開き、待ち人がやってきた。
放課後は、部室で待ち合わせて一緒に帰るのが習慣と化している。
この台詞も、もう一体何度聞いたことか。
「今日はまたエラく遅かったな、小麦」
・・・自然と、自分の口調が厳しくなっていることに気付く。
「うん、ちょっと体育館裏で『首だけお化け』をやっつけてきたのだ」
そんな僕などお構いなしに、得意顔で報告する小麦。
「3年生の間で噂になってるヤツでね、首だけでフワフワ浮いてるんだよ。
 傑作なのが、首から上だけなのに律儀に仮面をつけてて――」
僕は、その内容に・・・つい。
「――お前、何でそんなこと僕に言わずにやってるんだよ!?」
バン、と手近な机を掌で叩きつけ、叫んでしまっていた。

正直僕は、イラついていたのだ。
分からないことが多すぎて。
自分に出来ることが少なすぎて。

「ついこの間、あの夕月ってヤローに絡まれたこと忘れたのか?
 アイツがまたいつ襲ってくるか分かんねぇんだぞ!」
「そっ・・・そんなの、速攻で返り討ちだよ!」
「お前、全ッ然分かってねぇだろ? あの黒巫女、絶対まともじゃないぞ。
 しかも更に強くなるって言うんだ。
 油断してたら小麦だって危ないかもしれないんだからな!」
「だ、だって! あたし――」
「だって、じゃねぇよ! 気を抜いたらヤバいって言ってるんだ!」
「あ、あたし・・・・・・うぐっ・・・ふえぇ」
と、そこで、小麦は急に妙な声を上げて。

「ふぇええええええええええっ・・・!」

盛大に泣き出してしまった。
――しまった。久々に、やらかしてしまった。
僕の頭から一気に血の気が引いて、急激に我に返る。

小麦は強い。
それは単純に腕力・脚力という意味だけでなく、メンタルな部分も含めて。
多分、僕が知る人物の中では最強だ。
だから、時々、忘れてしまう。

昔は、信じられないくらいの泣き虫だったということを。
僕と接する時だけは、昔と同じくらいに脆くなってしまうことを。

もう10年以上も幼馴染をやっているのに、僕は未だに上手く小麦を捉えることができていない。
小麦はいつだって、ブレずに真っ直ぐ突き進んでいるだけなのに。

涙をぽろぽろとこぼしながら、小麦は泣き続ける。
僕は、どうして良いか分からず――10年以上経っても変わらず、うろたえるばかりだ。
「うっ、あ、あたしっ。強くなったもっ。もう、負げないもっ。負けないもんっ」
「あ、う・・・その、ご、ゴメン。言い過ぎた・・・」
「は、ハル君の、ばかっ。ばかぁっ。あほぉぉぉぉっ!」
泣きながら罵倒されてしまった。
――返す言葉もございません。
夕月明のこととか。
黒巫女のこととか。
それらもひっくるめて、今後のこととか。
ちょっと、想定外の事態に直面しただけなのに――
あっさりとテンパってしまう自分の器の小ささに、何だか情けなくなってしまった。

小麦は、一向に泣き止む気配がない。
ああ、僕はどうしたら良いんだっけ。どうすれば泣き止んでくれるんだっけ。
昔から何度も経験してきたことなのに、こんな時にどうすれば良いのかサッパリだ。
ぐるぐると、思考が回る。
ええと、ええと。
確か――今と同じくらいに大泣きさせてしまったのは、小学生の時が最後だったかな。
小麦が楽しみにしていたプリンを、ふざけて横取りした時だ。
あの時は、確か、その、ええと・・・。
焦りながら記憶を辿り、小学生の頃を思い出す。
取り敢えず、その時と同じ慰め方を試みてみよう。
僕は、泣きじゃくる小麦にもう一歩近づいて。
そっと、正面から抱き締めた。
ごめん、ごめんと繰り返し謝罪しながら、僕の胸辺りに位置する頭を撫でる。
「はうっ」
小麦は、泣き声を押し殺すように、僕のカッターシャツに噛み付く。
「・・・うううぅっ・・・っく、ひっく」
唸り続ける小麦に――僕はひたすら謝ることしか出来なかった。
多分、小麦よりももっと、僕の方が成長できていないのだと思った。

それからたっぷり10分。
ようやく、小麦は落ち着いてくれた。
だけど、依然として赤く腫れたままの目で、見上げるように僕を睨み続けている。
「うーん・・・ごめん。本当に、僕がどうかしてた」
「うぅぅぅ。ハル君が、いじめるー・・・」
ぐりぐりぐりぐり。
涙をカッターシャツで拭うように、顔を擦り付けてくる。
「苛めてねぇよ・・・そんなんじゃなくて。ちょっと、その、心配が過ぎたというか」
「・・・もう、怒ってない?」
「ああ、怒ってない。そもそも、最初から怒るほどのことじゃなかったんだ。僕が悪い」
「本当?」
「うん、本当」
「・・・・・・じゃ、ソフトクリーム」
「・・・はい?」
「ソフトクリームで、手を打つ」
要するに、機嫌を直して欲しければソフトクリームを奢れ、ということか。
「この寒いのに、ソフトクリームですか?」
ちなみに、今は12月である。
「ソフトクリーム」
「・・・分かった、帰りに奢るよ」
僕はしぶしぶ、その要求を呑んだ。
まぁソフトクリームで済むなら安いものだ、などと考えていると――

「・・・・・・にひ」

腕の中から、そんな妙な声が聞こえた気がした。
何と言うか、取り敢えず気にしないことにしておこう。
僕が悪いことに変わりはないのだから。

それよりも、だ。
根拠もない、ただの個人的な勘なのだけど。
僕は、泣き止んだ小麦から少し離れて、呟いた。

「先生、盗み聞きは良くないと思います」

「げッ。何でバレてんだよ・・・」

ドアを開けて入って来たのは、案の定、伊崎先生だった。
っていうかもう一人の容疑者である生徒会長は、こんな鎌掛けには引っかからない。
そんな盗聴犯は、詫びる様子もなく、むしろ妙にニヤニヤして僕らを眺める。
「ぬふふ、青春ですニャー?」
「そんなんじゃないですよ」
「いやー、良いねェ。ちなみに青春の『春』は性欲を表すんだぜ。青い性欲だな」
「そんな厭な豆知識、一生要らねぇよ」
「まさに男子高校生のためにある言葉だよな! オラ、ワクワクしてきたぞ!」
「どこの戦闘民族だ!?」
そもそも、何故妙齢の女性であるところの伊崎先生がワクワクするのかが理解不能。

その後も、このシチュエーションで手を出さないヤツは男じゃないとか散々言われた。
が、丸無視を決め込んで、僕らはそそくさと下校した。
あんなセクハラオヤジに付き合うほど人間できてないよ、マジで。
あと、帰りに久々に買ったソフトクリームは予想の2倍ほどの値段だったことを付記しておく。
パフェじゃあるまいし。畜生。

それにしても――
小麦をあんな風に抱き締めたのは、本当に小学生時分以来じゃないだろうか。
改めてその感触を思い出すと、何だか妙に、ドキドキした。
幼馴染で腐れ縁なだけなのに、な。
僕は、意味もなく夕暮れ時の空を見上げて、思考を中断した。
一緒に、小麦を待っていた時のネガティブな思考も中断した。
「ま――何とか、なるでしょ」
何が? と小麦に聞かれたが、何も答えなかった。
ひとつ小さく背伸びして、僕はだらしなく欠伸をした。



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